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李漢昌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

李 漢昌(イ・ハンチャン、朝鮮語: 이한창1883年5月24日[1][2]または1893年5月[3] - 1980年6月21日[1])は、日本統治時代の朝鮮教員朝鮮総督府官僚大韓民国政治家。第2代韓国国会議員。本貫全義李氏朝鮮語版[3]。日本名は平川 眞次[2]

経歴

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忠南牙山または全南求礼出身[3]。1914年に水原高等農林学校(現・ソウル大学校農科大学)卒[2]

新昌と温陽普通学校で教師生活を送った後、1925年に全羅南道庁に入庁し、内務部産業科で勤務。1934年9月に長城郡庶務主任、1935年6月に莞島郡郡守、その後は求礼郡郡守、咸平水利組合理事を務めた[2]。解放後は全南道農林局長、全南漁業組合理事長を歴任した[2]第2代総選挙で全羅南道求礼郡選挙区から当選した国会議員李判烈が死去した後、自由党所属で1952年の補欠選挙に出馬・当選し、国会議員を1期務めた[1][2]

議員引退後は第7・8代水産中央会会長を務め、1980年に老衰により入院中に死去した。享年88[2][4]

脚注

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  1. ^ a b c 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2023年10月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 이한창(李漢昌)” (朝鮮語). 韓国民族文化大百科事典. 2023年10月25日閲覧。
  3. ^ a b c 이한창(李漢昌) - 한국근현대인물자료”. 한국사 데이터베이스. 2023年10月25日閲覧。
  4. ^ 2代議員(대의원) 李漢昌(이한창)씨”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1980年6月21日). 2023年10月25日閲覧。