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李淑妃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

淑妃李氏(しゅくひ りし、1343年以降[1] - 1384年)は、洪武帝の妃。寿州の人。

生涯

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明の初年に戦死した広武衛指揮官の李傑の娘である。

明の洪武17年(1384年)、淑妃に封ぜられ、後宮のことをつかさどった。しかしまもなく亡くなった。外史によると、洪武帝の疑いと不信を買い、迫られて自ら縊死した。

なお洪武帝(朱元璋)の太子朱標・次子朱樉・三子朱棡は洪武帝正妻の馬皇后の子とされているが、生みの親は淑妃であると考えられている[2]

伝記資料

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  • 『明太祖実録』
  • 明史
  • 『追贈驃騎将軍府事李公(李傑)神道碑銘』
  • 寺田隆信『永楽帝』中央公論社中公文庫〉、1997年。ISBN 978-4062921480 
  • 檀上寛『永楽帝―中華「世界システム」への夢』講談社〈講談社選書メチエ〉、1994年。ISBN 978-4062921480 
  • 荷見守義『永楽帝 明朝第二の創業者』山川出版社〈世界史リブレット人〉、2016年。 

脚注

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  1. ^ 李傑の生年(1331年)による。
  2. ^ 荷見 2016, p. 13.