コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

李泳熙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

李 泳熙(イ・ヨンヒ、朝鮮語: 이영희1910年3月21日[1]または1912年[2] - 1977年7月7日)は、大韓民国政治家。 第3・4代韓国国会議員[1]

経歴

[編集]

慶尚南道宜寧郡出身。宜寧公立普通学校(現・宜寧初等学校朝鮮語版)卒、京都東寺中学校(現・洛南高等学校)卒業(または中退)。 宜寧郡農会会長、初代宜寧郡教育監(教育長[3]、宜寧面長、国民会宜寧郡支部長、自由党宜寧郡党副委員長、国会農林委員会委員長、国会農村金融制度の確立に関する法律立法委員会委員長などを務めた。政界引退後は農業に従事した[1][2]

1977年7月7日、ソウル市内のマンションの自宅で脳溢血により死去。享年68[4][5]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年10月6日閲覧。
  2. ^ a b 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年10月6日閲覧。
  3. ^ 역대교육장”. 경상남도의령교육지원청. 2024年10月6日閲覧。
  4. ^ <3-4대 국회의원> 李泳熙(이영희)씨 별세”. NAVER Newslibrary. 조선일보 (1977年7月8日). 2024年10月6日閲覧。
  5. ^ 前議員(전의원) 李泳熙(이영희)씨”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1977年7月7日). 2024年10月6日閲覧。