高宗 (唐)
高宗 李治 | |
---|---|
唐 | |
第3代皇帝 | |
高宗肖像画 | |
王朝 | 唐 |
在位期間 |
貞観23年6月1日 - 弘道元年12月4日 (649年7月15日 - 683年12月27日) |
都城 | 長安 |
姓・諱 | 李治 |
字 | 為善 |
小字 | 稚奴 |
諡号 | 天皇大聖大弘孝皇帝 |
廟号 | 高宗 |
生年 |
貞観2年6月15日 (628年7月21日) |
没年 |
弘道元年12月4日 (683年12月27日) |
父 | 太宗(第9子) |
母 | 文徳皇后長孫氏 |
后妃 |
王皇后 武皇后 |
陵墓 | 乾陵 |
年号 |
永徽 : 650年 - 655年 顕慶 : 656年 - 661年 龍朔 : 661年 - 663年 麟徳 : 664年 - 665年 乾封 : 666年 - 668年 総章 : 668年 - 670年 咸亨 : 670年 - 674年 上元 : 674年 - 676年 儀鳳 : 676年 - 679年 調露 : 679年 - 680年 永隆 : 680年 - 681年 開耀 : 681年 - 682年 永淳 : 682年 - 683年 弘道 : 683年 |
子 |
四・六代皇帝中宗 五・八代皇帝睿宗 |
高宗(こうそう)は、唐の第3代皇帝。太宗の第9子で、諱は治。母は唐の名臣として名高い鮮卑の拓跋を出自に持つ長孫無忌の妹の長孫皇后である[1]。
生涯
[編集]父太宗の晩年にあたる貞観17年(643年)、皇太子であった李承乾は、父の寵愛の篤い魏王李泰をねたみ、武力を以て除こうとして失敗した。承乾は皇太子を廃され、泰も排斥された。承乾と泰の母である長孫皇后の兄の長孫無忌の進言もあり、やはり長孫皇后の子である第9子の李治が代わって皇太子に立てられ、太宗の死にともない皇帝に即位した。太宗に溺愛された異母兄の呉王李恪(隋の煬帝の外孫でもあった)を擁立する動きが見られたため、長孫無忌は呉王に謀反の嫌疑をかけて自殺に追い込み、一族を処刑した。
永徽5年(654年)、高宗が万年宮に行幸したとき、洪水が起こって夜間に大水が玄武門を襲い、宿衛たちはみな逃げ散った。一方、薛仁貴は怒って、「天子の危急のときに、どうして死を恐れようか?」と言って門に登って大声で叫び、宮中に警告したため、高宗は危機を逃れた。水が高宗の寝所にまで侵入していたため、高宗は仁貴を忠臣と讃えた。
龍朔3年(663年)、白村江の戦いで倭・百済遺民連合軍に勝利する。乾封元年(666年)、泰山にて新羅王や倭王他を従え封禅を行う。総章元年(668年)、新羅と共同(唐・新羅の同盟)して、隋以来敵対関係にあった高句麗を滅亡させる(唐の高句麗出兵)。こうして朝鮮半島のほとんどを版図に収め、安東都護府を設置、唐の最大版図を獲得した。しかし、新羅が唐との同盟を破棄し、上元3年(676年)に朝鮮半島全土を統一を達成(唐・新羅戦争)したため、ついに朝鮮半島経営を放棄した。
この時期になると、外戚の長孫氏が皇后である武氏の一派によって追放され、代わって武后が政治の実権を掌握するようになっていた。このため高宗は武后廃立を計画したが、失敗する。のちに丹薬による中毒で眼病を患い、健康をそこなった皇帝のもとで実権は完全に武后により掌握された。このような状況のなか弘道元年(683年)に崩じた。
病気がちであった高宗は、政治において主導権を発揮することはなく、最初は外戚の長孫無忌、その後は皇后の武則天に実権を握られ続けた。
宗室
[編集]- 正室:王皇后(廃)
- 継室:武照(則天皇后/則天皇帝)
- 側室:蕭淑妃(廃)
- 側室:徐婕妤 - 唐太宗賢妃徐恵の妹
- 側室:劉宮人
- 長男:燕王 李忠
- 側室:鄭宮人
- 次男:原王 李孝
- 側室:楊宮人
- 三男:沢王 李上金
- 愛人:韓国夫人 武順 - 武則天の姉
- 愛人:魏国夫人 賀蘭氏 - 武則天の姪、武順の娘
登場作品
[編集]- 映画
- 『ライズ・オブ・シードラゴン 謎の鉄の爪』(2013年) 演:盛鑑
- 『王朝の陰謀 闇の四天王と黄金のドラゴン』(2018年) 演:盛鑑
- テレビドラマ
- 『則天武后』(1995年)演:陳宝国
- 『皇帝 李世民〜貞観の治〜』(2006年)演:胡文豹
- 『淵蓋蘇文(ヨンゲソムン)』(韓国、2007年)演:パク・ヒョンジェ
- 『武則天 秘史』(2011年)演:ユィ・シャオチュン、ウィンストン・チャオ
- 『則天武后〜美しき謀りの妃〜』(2011年)演:鄭国霖
- 『二人の王女』(2012年)演:ガオ・ツーチー
- 『武則天 -The Empress-』(2015年)演:アーリフ・リー
- 『風起花抄〜宮廷に咲く琉璃色の恋〜』(2021年)演:ジャオ・シュンラン
脚注
[編集]- ^ 松浦友久『李白伝記論』研文出版、1994年9月、75頁。ISBN 978-4876361205。