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李明 (唐)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

李 明(り めい、? - 永淳元年7月29日682年9月6日))は、中国の太宗李世民の十四男。曹王に立てられた。

経歴

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李明の母の楊氏中国語版は、もとは巣王李元吉の妃であり、太宗に寵愛されて、皇后の位にも望まれた。魏徴が諫言したので、太宗は楊氏立后を取りやめた。

貞観21年(647年)に曹王に封じられ、貞観23年(649年)に実封800戸を受けた。まもなく1000戸を加えられた。顕慶年間、梁州都督に任じられ、のちに虢州豫州蘇州刺史を歴任した。高宗の命により李元吉の後を継いだ。調露2年(680年)、皇太子李賢の事件に連座して、零陵王に降格され、黔州に流された。永淳元年(682年)、都督の謝祐が迫って李明を自殺させた。高宗は李明の死を悼んで、黔州の官吏を全員罷免した。景雲元年(710年)に李明の柩が長安に運ばれ、昭陵に陪葬された。5子があった。

子女

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  1. 李俊(零陵王、南州別駕)
  2. 李傑(黎国公、垂拱年間に処刑された)
  3. 李價(済国公)
  4. 李備(衛尉少卿)
  5. 李偲(右武衛大将軍)

伝記資料

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  • 旧唐書』巻76 列伝第26「曹王明伝」
  • 新唐書』巻80 列伝第5「曹王明伝」