李整
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李 整(り せい、生没年不詳)は、中国後漢末期の曹操配下の武将。本貫は兗州山陽郡鉅野県。
事績
[編集]父の李乾も曹操に仕えていたが、呂布配下の薛蘭・李封によって殺害された。李整は李乾の兵を引き継ぎ、諸将と共に薛蘭・李封を攻め、これを撃ち破った。兗州諸県の平定にも付き従い、功績を挙げた。
昇進を重ね、青州刺史となった後に死去した。配下の兵は李典[1]が継いだ。
羅貫中の小説『三国志演義』には登場しない。代わりに李典の事績が正史『三国志』よりも前倒しにされ、董卓討伐の蹶起以前から曹操に仕えたことになっている[2]。
出典
[編集]- 陳寿撰、裴松之注『三国志』魏書 李典伝 s:zh:三國志/卷18#李典
脚注
[編集]- ^ 李典の従父が李乾。古代中国における「従父」は、必ずしも現代日本における「おじ」とイコールではないため、李整と李典の関係も「いとこ」とは限らない。
- ^ s:zh:三國演義/第005回