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李哲奉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
李哲奉
리철봉
生年月日 1936年
出生地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮平安南道平壌府
没年月日 2009年12月25日
出身校 万景台革命学院
所属政党 朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党
称号 金日成勲章

当選回数 5回
在任期間 1986年11月 - 2009年12月25日
最高指導者 金日成1948年 - 1994年
金正日(1994年 - 2011年

朝鮮労働党の旗 江原道党委員会責任書記
在任期間 2006年10月 - 2009年12月25日

朝鮮民主主義人民共和国の旗 鉄道省政治局長
在任期間 1999年1月 - 2006年10月

在任期間 1998年9月 - 2003年8月

朝鮮民主主義人民共和国の旗 政務院都市経営部長
在任期間 1989年6月 - 1998年9月

その他の職歴
朝鮮民主主義人民共和国の旗 社会安全部政治局長
1986年8月 - 不明)
朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党中央委員会委員
1984年7月 - 不明)
朝鮮民主主義人民共和国の旗 社会安全部
1984年6月 - 1985年
朝鮮民主主義人民共和国の旗 政務院陸海運部長
1977年12月 - 1984年6月
朝鮮民主主義人民共和国の旗 政務院交通逓信委員会陸海運部長
1974年4月 - 不明)
朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党中央委員会委員候補
1970年11月 - 不明)
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李哲奉
各種表記
チョソングル 리철봉
漢字 李哲奉
発音 リ・チョルボン
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李 哲奉(リ・チョルボン、朝鮮語: 리철봉1936年 - 2009年12月25日 )は、朝鮮民主主義人民共和国軍人政治家江原道党委員会責任書記、鉄道省政治局長、最高人民会議常任委員会委員、都市経営部長、社会安全部長、陸海運部長、朝鮮労働党中央委員会委員などを歴任した。朝鮮人民軍における軍事称号(階級)は中将。

経歴

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1936年日本統治下の平安南道平壌府に生まれた[1]抗日パルチザンの遺児となり万景台革命学院を卒業した[1][2]1970年1月朝鮮人民軍少将に昇進し[1][3]1970年11月2日に開催された朝鮮労働党第5次大会朝鮮労働党中央委員会委員候補に選出された[1]1974年4月に交通逓信委員会陸海運部長に任命された[1][3]。その後中将に昇進し1984年6月社会安全部長に任命され[1]7月6日に開催された党中央委員会第6期第9回総会で党中央委員会委員に補選されたが[1]1985年10月には社会安全部政治局長に転じた[1][3]1986年11月最高人民会議第8期代議員に選出され[1]1989年6月17日に都市経営部長に任命された[1][3]1998年に都市経営部長を退任し、同年9月1日に開催された最高人民会議第10期第1次会議で最高人民会議常任委員会委員に選出され[1]2003年9月3日の最高人民会議第11期第1回会議で最高人民会議常任委員会委員を解任されるまで在職した[4]1999年1月鉄道省政治局長に任命され[1][3]2006年10月には2001年崔元益が死去して以来空席であった江原道党委員会責任書記に任命された[2]

2009年12月25日に交通事故のため死去[3]金正日総書記から弔花が贈られた[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 리철봉 李哲奉북한지역정보넷
  2. ^ a b <北, 南인접 강원도 당책 임명에 숙고(?)> 統一ニュース 2006年10月25日
  3. ^ a b c d e f g 김정일, 리철봉 강원도당 비서 사망에 弔花 보내 デイリーNK 2009年12月27日
  4. ^ 北 최고인민회의 상임위원 일부 교체 統一ニュース 2003年9月3日
 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
先代
崔元益
江原道党委員会責任書記
2006年 - 2009年
次代
白桂龍
先代
新設
都市経営部長
1989年 - 1998年
次代
崔宗建
都市経営・国土環境保護相
先代
李鎮洙
社会安全部
1984年 - 1985年
次代
白鶴林
先代
陸海運部長
1977年 - 1984年
次代
呉成烈