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李亨雨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

李 亨雨(이형우、イ・ヒョンウ、Lee Hyeong Woo、1904年?[1] - 没年不詳)は、大韓民国教育者。普成専門学校(現・高麗大学校)教授、国学学校副校長、朝鮮大学既成会理事長、朝鮮法学専門学館学長、同徳女子中学校(現・同徳女子大学校)教諭[1]

人物・経歴

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大韓民国忠清北道鎮川郡出身。仏教徒[1]日本へ留学し、1927年3月、立教大学文学部英文学科卒業[1][2][3]。立教では金尚鎔朝鮮語版(後の梨花女子大学校教授・英文学者江原道知事)、花房満三郎(後の文藝春秋編集長)の同級生[2][3]

帰国した後、ソウルの同徳女子中学校(現・同徳女子大学校)教諭を経て、普成専門学校(現・高麗大学校)教授に就任[1]

その後、日立工務店に取締役として勤務[1]

1945年8月、日本からの解放後、国学学校副校長などを歴任したのち、朝鮮大学既成会理事長、朝鮮法学専門学館学長を務めた[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 韓国近代史料DB 『이형우 (李亨雨)』 近現代人物資料
  2. ^ a b 『立教大学新聞 第51号』 1927年(昭和2年)4月15日
  3. ^ a b 国立国会図書館デジタルコレクション 『立教大学一覧 昭和8年3月』 67頁,1933年