コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

杉浦英吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
杉浦 英吉
生誕 1889年10月29日
日本の旗 日本 千葉県
死没 (1977-12-28) 1977年12月28日(88歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1910年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
テンプレートを表示

杉浦 英吉(すぎうら えいきち、1889年明治22年)10月29日[1] - 1977年昭和52年)12月28日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。

経歴

[編集]

1889年(明治22年)に千葉県で生まれた[1]陸軍士官学校第22期卒業[1]1937年(昭和12年)に陸軍歩兵大佐に進級し[2]岐阜連隊区司令官に就任した[2]1939年(昭和14年)に歩兵第117連隊長(第1軍第108師団・歩兵第25旅団)に転じ[1][2]日中戦争に出動[1]八路軍との戦闘では悪戦苦闘の連続であった[1]

1940年(昭和15年)3月9日に陸軍少将に進級し[2]留守第8師団司令部附[1]9月28日留守第5師団司令部附を経て[1]10月15日に歩兵第21旅団長(第12軍第5師団)に転じた[1]。その後第25軍隷下となり[1]マレー作戦シンガポールの戦いに参加した[1]1942年(昭和17年)12月に第5歩兵団長(第19軍)に就任し[1]インドネシアの守備に当たった[1]

1943年(昭和18年)8月2日第42師団兵務部長に転じ[1]1944年(昭和19年)2月10日留守第2師団兵務部長[3]第72師団兵務部長[4]を経て、7月8日に留守第2師団兵務部長を歴任した[4]7月14日に陸軍中将に進級し[2]第115師団長に親補され[1]、中国大陸で終戦を迎えた[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

栄典

[編集]
勲章

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 福川 2001, 390頁.
  2. ^ a b c d e 外山 1981, 280頁.
  3. ^ 第25号 昭和19年2月10日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120902200 
  4. ^ a b 第133号 昭和19年7月10日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120914100 
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」138頁。
  6. ^ 『官報』第4280号「叙任及辞令」1941年4月16日。

参考文献

[編集]
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026