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杉浦吉貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
杉浦吉貞
時代 戦国時代
別名 八郎五郎、大八郎五郎
主君 松平清康広忠徳川家康
氏族 和田氏支族杉浦氏
父母 杉浦政次宇津忠茂の娘
兄弟 吉貞時勝親貞久勝
勝吉勝重
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杉浦 吉貞(すぎうら よしさだ)は、戦国時代武将松平氏徳川氏の家臣。

杉浦氏は和田氏の末裔を称し、和田合戦の残党が近江国に蟄居した際、和田氏の旧姓である杉本氏三浦氏の一字ずつを取り杉浦と称したとされる。松平清康広忠の2代に仕え、三河六名郷に所領があった。広忠没後の弘治元年(1555年蟹江城攻撃では嫡男の勝吉大久保忠勝忠員忠世忠佐阿倍忠政らとともに軍功を立て、蟹江七本槍と称された。永禄6年(1563年三河一向一揆の蜂起に際しては大久保忠俊らとともに上和田砦に籠城し、針崎一揆と戦って武功があった。

参考文献

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