杉沢遺跡
表示
座標: 北緯35度22分12.1秒 東経136度23分13.6秒 / 北緯35.370028度 東経136.387111度
杉沢遺跡(すぎさわいせき)は、滋賀県米原市杉沢にある縄文時代中期から晩期を主とする遺跡。北近江地域における初めての学術的な発掘調査が実施され、縄文時代の合口甕棺墓を検出した遺跡として知られる[1]。
概要
[編集]日本百名山伊吹山の南西麓に位置し、明治以来石器が出土することが知られていた。1924年(大正13年)に郷土史家の中川泉三によって御物石器と磨製石斧が報告されたのが杉沢遺跡に関する研究の端緒となる[2]。その後、島田貞彦[3]や柏倉亮吉によっても出土資料が紹介されており、1936年(昭和11年)には土器棺が2基出土した。
1938年(昭和13年)には小林行雄や藤岡謙二郎らによって発掘調査が行われた[4]。これは北近江で初めての発掘調査である。縄文時代晩期後半の合口甕棺墓を検出し、これまで弥生時代の葬法と考えられていた合口甕棺墓が縄文時代にもあったことが判明する。その後、京都学芸大学や旧伊吹町教育委員会[5]、米原市教育委員会[6]の調査によりこれまで計11基の甕棺墓が検出されている。
1988年(昭和63年)の旧伊吹町の調査では、縄文時代晩期前半の良好な一括資料が得られた[7]。また、地元住民らの努力により、石棒類や御物石器などの石製品、石器、縄文土器、須恵器などが多数収集されている[8]。
2011年(平成23年)から立命館大学による継続的な発掘調査が行われている。
合口甕棺墓に用いられた土器など、出土遺物の一部は伊吹山文化資料館にて展示されている。
脚注
[編集]- ^ 米原市教育委員会 2012.
- ^ 中川泉三 (1924). “伊吹山下の石器”. 考古学雑誌 14-13.
- ^ 島田貞彦『有史以前の近江』滋賀県、1928年。
- ^ 小林行雄・藤岡謙二郎・中村春壽 (1938). “近江坂田郡春照村杉沢遺蹟-縄文式土器合口甕棺発掘報告”. 考古学 9-5.
- ^ 伊吹町教育委員会『杉沢遺跡甕棺墓の調査 谷海道遺跡ー伊吹町内遺跡発掘調査Ⅲ』伊吹町教育委員会、1996年。
- ^ 米原市教育委員会『杉沢遺跡発掘調査報告書ー縄文時代晩期甕棺墓の調査』米原市教育委員会、2006年。
- ^ 伊吹町教育委員会『杉沢遺跡発掘調査概要報告書』伊吹町教育委員会、1988年。
- ^ 立命館大学文学部『杉沢遺跡2017年度発掘調査概報』立命館大学文学部、2020年。
参考文献
[編集]- 米原市教育委員会『北近江で最初の発掘-杉沢遺跡-』米原市〈米原市遺跡リーフレット46 平成24年度市内遺跡活用事業〉、2012年 。