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杉本行雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
すぎもと ゆきお

杉本 行雄
生誕 (1914-02-28) 1914年2月28日
大日本帝国の旗 大日本帝国静岡県田方郡伊豆町
死没 (2003-09-12) 2003年9月12日(89歳没)
日本の旗 日本青森県三沢市
死因 事故死
国籍 日本の旗 日本
職業 実業家
影響を受けたもの 渋沢栄一
渋沢敬三
配偶者 杉本花江
杉本恒蔵
栄誉 日本観光協会長賞(1969年)
河北文化賞(1974年)
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杉本 行雄(すぎもと ゆきお、1914年大正3年)2月28日 - 2003年平成15年)9月12日)は、日本実業家古牧温泉渋沢公園、十和田観光開発十和田湖バスターミナル各社長[1]。 国立公園協会理事[2]日本自然保護協会東北支部副支部長、十和田商工会議所会頭。

成城大学学長の杉本義行は四男[3]

来歴・人物

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杉本恒蔵・はるの四男として、静岡県田方郡伊豆町に生まれる[4]。3歳で父親と死別。行商の母親に育てられ[5]尋常小学校を卒業後、一時期、サハリン泊居の太栄炭山で働き[6]、1929年に郷古潔ついで渋沢栄一書生となる。1935年中央大学法科を2年で中退した。

その後、栄一から家督継承した渋沢敬三(栄一の嫡孫)の秘書を経て、渋沢子爵執事を務める[4]

敬三の命を受け、1946年に渋沢家の農場があった青森県三本木町(現:十和田市)に移住。製材業を始め[4]、1951年に十和田開発(後の古牧温泉渋沢公園)を起こす[4]。また同年には十和田観光電鉄取締役となり、1957年4月社長に就任するが、1969年、同社労働組合私鉄総連加盟を巡って、約70日に及ぶストライキを打ち、収拾につかれた杉本は、十鉄株を国際興業を率いる小佐野賢治に譲渡し、社長を辞任した[7]。これに先立ち、1952年に十和田商工会議所会頭に推される。

以後は、十和田観光開発古牧温泉渋沢公園社長として、十和田湖グランドホテル、十和田湖ターミナル、奥入瀬渓流観光グランドセンター、奥入瀬渓流グランドホテル・同温泉ホテル、焼山温泉グランドホテル・同青山荘南八甲田谷地温泉、三沢古牧温泉渋沢公園古牧グランドホテル等や、十和田科学博物館、小川原湖民俗博物館も創設し、「北のホテル王」の名をほしいままにしたが、暮らしぶりは質素で偉ぶることはなかった[5]

2003年9月12日未明、JR三沢駅構内で事故死(自死とも)。89歳没。親交のあった作家の瀬戸内寂聴は告別式の弔事で「ただ一人相談できる方を失った」と嘆いた[5]

なお、古牧温泉は経営拡大路線に乗じて、バブル期に金融機関から40億円借金して建設した「奥入瀬渓流第二ホテル」が、投資に見合った利益が上がらず、2003年に杉本が死亡したことも重なり、長引く景気低迷に勝てず、2004年11月、民事再生法の適用を申請。経営破綻した。負債総額は古牧温泉渋沢公園が130億円、子会社の十和田観光開発が90億円[8]。また杉本は、大蔵省から払い下げを受け、東京三田の旧渋沢邸(旧渋沢家住宅)の内閣六省共用会議所を、1991年に古牧温泉渋沢公園内に移築したが[9]、経営破綻後、清水建設が買い取ることになり、東京潮見の新たな研究開発拠点内に移築され、2024年に一般公開を予定する[10]

趣味は書道[1]。宗教は曹洞宗[1]

家族

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関連書籍

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脚注

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  1. ^ a b c 人事興信錄』人事興信所、1995年https://books.google.com/books?id=PfFMAQAAIAAJ&newbks=0&printsec=frontcover&pg=PP2753&dq=%E6%9D%89%E6%9C%AC%E8%A1%8C%E9%9B%84%E3%80%80%E5%8F%A4%E7%89%A7%E6%B8%A9%E6%B3%89&hl=ja 
  2. ^ (中国語) 人事興信錄. 人事興信所. (2003). https://books.google.com/books?id=0D80AQAAIAAJ&newbks=0&printsec=frontcover&pg=PP103&dq=%E6%9D%89%E6%9C%AC%E8%A1%8C%E9%9B%84&hl=ja 
  3. ^ 大学通信,大学プレスセンター. “【成城大学】 次期学長に杉本義行教授を選任”. 大学プレスセンター. 2022年3月22日閲覧。
  4. ^ a b c d 「列伝 ジャパン・ドリーム 十和田開発社長 杉本行雄さん 1」『読売新聞』1991年4月18日 7頁
  5. ^ a b c 「悼 古牧温泉渋沢公園社長・杉本行雄さん 9月12日死去・89歳」『毎日新聞』2003年10月11日 28頁
  6. ^ 「列伝 ジャパン・ドリーム 十和田開発社長 杉本行雄さん 2」『読売新聞』1991年4月25日 11頁
  7. ^ 「列伝 ジャパン・ドリーム 十和田開発社長 杉本行雄さん 3」『読売新聞』1991年5月2日 7頁
  8. ^ “「観光けん引役 失速 投資分 利益出せず 古牧温泉再生法申請」”. 『朝日新聞』青森版. (2004年11月27日) 
  9. ^ 「列伝 ジャパン・ドリーム 十和田開発社長 杉本行雄さん 4」『読売新聞』1991年5月9日 11頁
  10. ^ “「旧渋沢邸」を東京・江東区に移築…渋沢栄一が暮らし、蔵相公邸でも使用”. 読売新聞オンライン. (2023年9月4日). https://www.yomiuri.co.jp/economy/20230904-OYT1T50141/ 2023年9月8日閲覧。