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杉本惣太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

杉本 惣太郎(すぎもと そうたろう、生没年不詳)は、江戸時代後期の一揆指導者[1][2]。本姓は広瀬[1]

経歴・人物

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近江国甲賀郡油日村(現:滋賀県甲賀市甲賀町油日)の人[1][2]

天保13年(1842年)、江戸幕府勘定方市野茂三郎による検地増徴に反対し、野洲・甲賀・栗太3郡の農民約1万2000人が蜂起した近江天保一揆(甲賀一揆)を指導した一人である[1]。一揆の際は旅館に入り、検地の帳簿を破棄した[2]。検地は阻止されたが、同志の土川平兵衛らと共に捕えられ[1]江戸へ護送された後、配流先の佃島で死亡した[1][2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『杉本惣太郎』 - コトバンク
  2. ^ a b c d 近江人物志. 滋賀県教育会. (1917). p. 619. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1880402/353