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杉本 惣太郎(すぎもと そうたろう、生没年不詳)は、江戸時代後期の一揆指導者[1][2]。本姓は広瀬[1]。
近江国甲賀郡油日村(現:滋賀県甲賀市甲賀町油日)の人[1][2]。
天保13年(1842年)、江戸幕府勘定方の市野茂三郎による検地増徴に反対し、野洲・甲賀・栗太3郡の農民約1万2000人が蜂起した近江天保一揆(甲賀一揆)を指導した一人である[1]。一揆の際は旅館に入り、検地の帳簿を破棄した[2]。検地は阻止されたが、同志の土川平兵衛らと共に捕えられ[1]、江戸へ護送された後、配流先の佃島で死亡した[1][2]。