コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

杉原正忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

杉原 正忠(すぎはら まさただ、元禄14年(1701年) – 宝暦8年8月4日1758年9月5日))は、備中国足守藩家老。足守杉原家第3代当主。

第2代当主瀬川正長の子。通称は玄蕃。剣無と号す。子に杉原房正佐良木幸太

享保5年(1720年)6月に家督相続し、400石を給わる。また、藩主木下家の旧姓である杉原姓と切り菊の紋所を与えられる。同月7日には家老見習となり、同10年(1725年)10月13日に家老となる。同17年(1732年)6月、50石を加増され450石となる。

享保18年(1733年)2月6日、病身のため隠居し、元文元年(1736年)6月に剣無と号す。延享元年(1744年)2月28日、藩政のご意見番としての役割を期待され、隠居料十人扶持を与えられる。宝暦8年(1758年)8月4日に58歳で病死した。

参考文献

[編集]
  • 『御家中由緒書』