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朴鐘八

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
朴 鐘八
基本情報
本名 朴 鐘八
階級 スーパーミドル級
身長 178cm
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
誕生日 (1958-08-11) 1958年8月11日(66歳)
出身地 全羅南道務安郡
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 53
勝ち 46
KO勝ち 39
敗け 5
引き分け 1
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朴 鐘八パク・チョンパル박종팔Chong-Pal Park1958年8月11日 - )は、韓国プロボクサー全羅南道務安郡出身。元IBF世界スーパーミドル級王者。WBA世界スーパーミドル級王者。

来歴

[編集]

1977年11月26日、韓国でプロデビュー。

1978年12月17日、7戦目で韓国ミドル級王座を獲得した[1]

1979年8月22日、12戦目で柳済斗が返上したOPBF東洋太平洋ミドル級王座決定戦でカシアス内藤と対戦し、2回KO勝ちで王座を獲得した[2]。同王座は15度の防衛に成功した。(そのうち、日本人の挑戦は5度。1980年1月27日、江刺勝雄(初防衛)[3]。1980年3月18日、柴田賢治(防衛2)[4]。1981年4月5日、シーザー佐々木(防衛8)[5]。1981年6月21日、柴田賢治(防衛9)[6]。1982年12月26日、鈴木直人(防衛15))

1981年11月8日、フルヘンシオ・オベルメヒアスと対戦し、8回KO負け[7]

1983年5月29日、OPBF王座の16度目の防衛戦で羅慶民と対戦し、7回KO負けで王座から陥落した[8]。9月4日、羅慶民と再戦し、4回KO勝ちで王座を奪回した[9]

1984年7月22日、世界王座初挑戦となったIBF世界スーパーミドル級王者マレイ・サザーランドに挑戦し、11回TKO勝ちで世界王座を獲得した[10]

1987年7月26日、防衛戦でエマヌエル・オッティと対戦し、3回KO勝ちで8度目の防衛に成功した[11]。その後、同王座を返上した。

1987年12月6日、WBA世界スーパーミドル級初代王座決定戦でヘスス・ガヤルドと対戦し、2回KO勝ちで王座を獲得した[12]

1988年5月23日、2度目の防衛戦でフルヘンシオ・オベルメヒアスと6年半ぶりに再戦し、12回判定負けで王座から陥落した[13]

1988年12月22日、白仁鉄と対戦し、9回KO負け。この試合を最後に引退した[14]

獲得タイトル

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  • 第20代OPBF東洋太平洋ミドル級王座(防衛15度)
  • 第22代OPBF東洋太平洋ミドル級王座(防衛0度)
  • IBF世界スーパーミドル級王座(防衛8度)
  • WBA世界スーパーミドル級王座(防衛1度)

エピソード

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世界戦のファイトマネーは5000万ウォンを超え、試合のたびに土地を購入し時価90億ウォンの資産を得て、「돈팔이(トンパリ、金の亡者)」とあだ名された(当時のソウル市の坪単価は1万ウォン)[15]。その後、詐欺や事業の失敗などで破産し、うつ病、夫人の他界などの不幸に見舞われたが、再婚しジムの運営などで再起を果たした[16][17]

脚注

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  1. ^ [1]東亜日報 1978年12月18日
  2. ^ [2]東亜日報 1979年8月23日
  3. ^ [3]京郷新聞 1980年1月28日
  4. ^ [4]東亜日報 1980年3月19日
  5. ^ [5]東亜日報 1981年4月6日
  6. ^ [6]東亜日報 1981年6月22日
  7. ^ [7]東亜日報 1981年11月9日
  8. ^ [8]東亜日報 1983年5月30日
  9. ^ [9]東亜日報 1983年9月5日
  10. ^ [10]京郷新聞 1984年7月23日
  11. ^ [11]京郷新聞 1987年7月27日
  12. ^ [12]東亜日報 1987年12月7日
  13. ^ [13]東亜日報 1988年5月24日
  14. ^ [14]東亜日報 1988年12月23日
  15. ^ 박종팔 “한때 별명이 ‘돈팔이’, 갈퀴로 긁어… 다 잃고나니 행복 찾아와”文化日報 2012年6月22日
  16. ^ 득구야, 벨트 못 따면 죽어서 오겠다는 약속은 왜 지켰냐중앙SUNDAY 2018年1月28日
  17. ^ 세계 복싱 챔피언 박종팔, 90억 탕진…설마honestnews 2013年5月18日

関連項目

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外部リンク

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空位
前タイトル保持者
柳済斗
OPBF東洋太平洋ミドル級王者

1979年8月22日 - 1983年5月9日

次王者
羅慶民
前王者
羅慶民
第22代OPBF東洋太平洋ミドル級王者

1983年9月4日 - 1984年8月(返上)

空位
次タイトル獲得者
羅慶民
前王者
マレイ・サザーランド
第2代IBF世界スーパーミドル級王者

1984年7月22日 - 1987年11月(返上)

空位
次タイトル獲得者
グラシアノ・ロッシジャーニ
前王者
N/A
WBA世界スーパーミドル級王者

1987年12月6日 - 1988年5月23日

次王者
フルヘンシオ・オベルメヒアス