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朴永出

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

朴 永出(パク・ヨンチュル、朝鮮語: 박영출1908年1月10日または1909年 - 1975年5月9日または5月10日[1])は、大韓民国政治家牧師。第2・3代韓国国会議員。

経歴

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慶尚北道義城郡出身。法政大学法科、日本神学校東京神学大学卒。日本にて崇徳学舎を設立し、13年間活動した。のちに帰国し、ソウルで崇徳学舎を再び設立し、同組織を中心に活動した。そのほか、苦学生援護会長、傷痍軍人会顧問、高等考試委員などを務め、崇徳教会で牧師として活動した。1950年の第2代総選挙に義城甲選挙区より大韓国民党所属で出馬して当選し、1951年3月9日から1951年12月19日までは国会社会保健委員会委員長を務めた。自由党所属後は同党中央政治訓練院長を務めた。1954年の第3代総選挙に義城甲選挙区より自由党所属で出馬して当選し、1954年6月23日から1955年2月19日までは国会運営委員会委員長、1956年6月30日から1956年11月29日までは国会外務委員会委員長、水害救護対策特別委員会委員長などを務めた。任期中に時計密輸事件による連坐で、憲政史上に類例のない議員資格喪失処分を受けた[2]

1975年5月9日に心筋梗塞によりソウル市城東区の自宅にて死去。享年67[3]

脚注

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  1. ^ 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2023年11月17日閲覧。
  2. ^ 자료일람 | 한국사데이터베이스”. 2023年11月17日閲覧。
  3. ^ 朴永出(박영출)목사別世(별세)”. NAVER Newslibrary. 매일경제 (1975年5月10日). 2023年11月17日閲覧。