朴奉珠
朴奉珠 박봉주 | |
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生年月日 | 1939年4月10日(85歳) |
出生地 | 日本統治下朝鮮、咸鏡北道城津府 |
所属政党 | 朝鮮労働党 |
在任期間 | 2016年6月29日 - 2021年9月29日 |
国務委員会委員長 | 金正恩(2016年 - ) |
第5代内閣総理 | |
内閣 | 第2次朴奉珠内閣 |
在任期間 | 2013年4月1日 - 2019年4月11日 |
国防委員会第一委員長 国務委員会委員長 | 金正恩 |
第2代内閣総理 | |
内閣 | 第1次朴奉珠内閣 |
在任期間 | 2003年9月3日 - 2007年4月11日 |
国防委員会委員長 | 金正日(事実上の元首) |
内閣 | 洪成南内閣 |
在任期間 | 1998年9月5日 - 2003年9月3日 |
国防委員会委員長 | 金正日(事実上の元首) |
在任期間 | 2016年5月9日 - 2021年1月10日 |
朝鮮労働党委員長 | 金正恩 |
その他の職歴 | |
朝鮮労働党中央委員会副委員長(経済担当) (2019年4月10日 - 2021年1月10日) | |
朝鮮労働党中央委員会 第6期政治局員 (2013年3月31日 - 2016年5月9日) | |
朝鮮労働党中央委員会 第7期政治局員 (2016年5月9日 - 2021年1月10日) | |
朝鮮労働党中央委員会 軽工業部第一副部長 (2010年8月20日 - 2012年4月11日) | |
朝鮮労働党中央委員会 軽工業部部長 (2012年4月11日 - 2013年3月31日) | |
朝鮮労働党中央委員会 第6期党中央委員候補 (2010年9月28日 - 2012年4月11日) | |
朝鮮労働党中央委員会 第6期党中央委員 (2012年4月11日 - 2016年5月6日) | |
朝鮮労働党中央委員会 第7期党中央委員 (2016年5月9日 - 2021年1月10日) | |
朝鮮労働党中央軍事委員会委員 (2016年5月9日 - 2021年1月10日) |
朴奉珠 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 박봉주 |
漢字: | 朴奉珠 / 朴鳳柱 |
発音: | パク・ポンジュ |
日本語読み: | ぼく・ほうじゅ |
英語表記: | Pak Pong-ju |
朴 奉珠(パク・ポンジュ、1939年4月10日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治家。朝鮮労働党中央委員会政治局常務委員、同党中央委員会副委員長、同党中央軍事委員会委員、朝鮮民主主義人民共和国国務委員会副委員長。内閣総理(第2代・第5代)を歴任。
略歴
[編集]1962年に平安北道の食料工場支配人となり、その後、平安南道党委員会指導員や副部長などを経て、1980年10月の第6回党大会で党中央委員会候補委員に選出される。1983年7月、南興青年化学連合企業所党委責任書記となる。1993年5月に党中央委員会軽工業部副部長、翌年3月には党経済政策検閲部副部長に就任する。1998年9月5日の最高人民会議第10期第1回会議で化学工業相(大臣)に任命される。2003年9月3日、最高人民会議第11期第1回会議において内閣総理に選出され、党内の序列は第6位となった。
経済専門家として総理に抜擢された朴奉珠であったものの経済再建は進まず、また金正日が進める「先軍政治」において軍需経済に非協力的であったことや、2007年1月の閣議で企業の給与体系に資本主義的な社会主義市場経済のシステムを導入することを主張したことが批判され、結局2007年4月11日に総理を解任された。
総理更迭後は地方の化学繊維工場の支配人に左遷されたが[1]、2010年8月、党軽工業部第一副部長のポストに就任し、復権したことが明らかになった[2]。同年9月28日の第3回党代表者会議で党中央委員候補に再選された。2012年4月11日の第4回党代表者会議では党軽工業部長に任命される[1]。2013年3月31日の党中央委員会総会で政治局員に昇格[3]。4月1日の最高人民会議第12期第7回会議で内閣総理に選出され、6年ぶりの総理復帰となった[4]。これには当時の実力者で盟友の張成沢とその妻金敬姫の引き立てがあったとされる[5][6]。
2014年3月に行われた第13期最高人民会議代議員選挙で代議員に選出され、返り咲いた。
2016年5月に開催された第7回朝鮮労働党大会において、金正恩、金永南、黄炳瑞、崔竜海と共に党中央委員会政治局常務委員に選出され、党中央軍事委員会委員にも選出された[7][8]。 これに続いて、2016年6月29日に開催された第13期最高人民会議第4回会議では国務委員会副委員長に選出された[9]。
2018年6月19日、中華人民共和国を訪問した金正恩に同行した[10]。
2019年4月10日の党中央委員会総会で党中央委員会副委員長(経済担当)に選出され[11]、翌11日の第14期最高人民会議第1回会議において総理を退任した[12]。
2021年1月の第8回党大会で高齢を理由に政治局常務委員・党副委員長(党規約改正で書記に相当)・中央委員を含む全ての党役職を退任し[13][14]、同年9月29日の第14期最高人民会議第5次会議で国務委員会副委員長を退任して完全引退した[15][16]。
脚注
[編集]- ^ a b “北朝鮮:改革派首相、返り咲き 国内向け、経済重視路線”. 毎日新聞 (2013年4月2日). 2020年12月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月12日閲覧。
- ^ 「朴奉珠元首相が復権=北朝鮮」時事ドットコム(時事通信)、2010年8月21日付配信記事(2010年8月29日閲覧)
- ^ “『核開発を強化』北、党中央委総会で金正恩第1書記 ミサイル増産も宣言”. 加藤達也(産経新聞ソウル支局長) (2013年3月31日). 2020年12月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月11日閲覧。
- ^ “北で最高人民会議 首相に朴奉珠氏復帰 経済改革路線、軍反発も”. 加藤達也(産経新聞ソウル支局長) (2013年4月2日). 2020年12月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月11日閲覧。
- ^ “北朝鮮が朴奉珠氏を首相に再任、一族支配の強化狙いか=KCNA”. ロイター (2013年4月2日). 2016年9月23日閲覧。
- ^ “「北朝鮮、朴奉珠首相まもなく更迭」世代交代の合図か?(1)”. 中央日報 (2014年4月8日). 2016年9月23日閲覧。
- ^ “北朝鮮 キム・ジョンウン氏が「党委員長」に”. NHKNEWSWEB (2016年5月9日). 2020年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月9日閲覧。
- ^ “朝鮮勞動黨19人政治局委員名單出爐”. 大公網 (2016年5月10日). 2016年6月1日閲覧。
- ^ “김정은, 당·국가 최고위직 겸직… 아버지 시대와 결별”. 国民日報 (2016年6月30日). 2016年6月30日閲覧。
- ^ “中朝が新蜜月関係を誇示…習主席、年内に訪朝も”. 中央日報 (2018年6月21日). 2018年6月21日閲覧。
- ^ “金正恩氏「制裁勢力に深刻な打撃を」米朝会談後初の発言”. 産経新聞. (2019年4月11日) 2019年4月11日閲覧。
- ^ “北朝鮮、最高人民会議常任委員長に崔氏 首相も交代”. ロイター. (2019年4月12日) 2019年4月12日閲覧。
- ^ “金正恩氏が党総書記に 与正氏は政治局候補委員から外れる”. 聯合ニュース. (2021年1月11日) 2021年1月11日閲覧。
- ^ “金正恩氏が総書記に、肩書復活させ父と肩並べ”. 産経新聞. (2021年1月11日) 2021年1月11日閲覧。
- ^ “조선민주주의인민공화국 최고인민회의 제14기 제5차회의 2일회의 진행(朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議第14期第5次会議の2日目会議の開催)”. 労働新聞. (2021年9月30日). オリジナルの2021年10月1日時点におけるアーカイブ。 2021年11月21日閲覧。
- ^ “조선민주주의인민공화국 최고인민회의 제14기 제5차회의에서(朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議第14期第5次会議で)”. 労働新聞. (2021年9月30日). オリジナルの2021年10月1日時点におけるアーカイブ。 2021年11月21日閲覧。
公職 | ||
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先代 黄炳瑞 李勇武 呉克烈 国防委員会副委員長 |
朝鮮民主主義人民共和国 国務委員会副委員長 2018年までは黄炳瑞、2019年までは崔竜海と同列 2019年以降は単独の副委員長 2016年 - 2021年 |
次代 金徳訓 |
先代 崔永林 |
朝鮮民主主義人民共和国 内閣総理 第5代:2013年 - 2019年 |
次代 金才龍 |
先代 洪成南 |
朝鮮民主主義人民共和国 内閣総理 第2代:2003年 - 2007年 |
次代 金英逸 |
先代 金煥 |
朝鮮民主主義人民共和国 化学工業相 1998年 - 2003年 |
次代 李武栄 |
党職 | ||
先代 朴泰成 |
朝鮮労働党中央委員会副委員長 経済担当 2019年 - 2021年 |
次代 金頭日 党経済担当書記・党経済部長 |