朴保
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朴 保(パクポー、pak poe、1955年1月24日 - )[1] は、日本で活動するロックボーカリスト[2]。山梨県出身の在日韓国人2世[1][2][3]。その音楽領域はロック、レゲエ、ソウル、韓国の民族音楽や民謡と幅広く、反戦、反核、反原発をテーマに、ライブを中心に活動を行っている[2][4]。
代表曲
[編集]評価
[編集]在日朝鮮人小説家の梁石日(ヤン・ソギル)は「天性のボーカリスト」「彼ほど反骨と反権力を貫いているボーカリストは他にいないだろう」と高く評価している[5]。
略歴
[編集]- 1955年1月24日 山梨県にて韓国人の父、日本人の母の間に生まれる[1][3][6]。
- 1979年 「広瀬友剛」の名でソロ・シンガーとしてワーナー・パイオニアからデビュー[1][3]。
- 1980年 韓国を訪れ、パンソリなどの伝統音楽に触れ、「朴保」に改名[1][3]。
- 1983年〜1992年 単身渡米し、サンフランシスコで2つのロックバンド「オギィヨッチャ(Ogie Yocha)」「サイケデリックサムライ(Psychedelic Samurai)」を結成し、ネバダ核実験場でライブなどの活動を行う[1][3][7]。
- 1992年 帰国し東京ビビンパクラブに参加[1]。
- 1998年 ドキュメンタリー映画『A』(森達也監督)の音楽を担当[1][8]。「Good Night Baby」「Tears of My Love」「峠」が挿入歌として使用された[9]。
- 1999年 新宿梁山泊『少女都市からの呼び声』ニューヨーク/東京公演に出演[1]。
- 2000年 嚴仁浩(オム・インホ)と史上初の日韓共同制作CD「時は流れる」を発表[1][3][7]。
- 2001年 東海道400年祭祝祭劇『佐久夜』(市川猿之助総合演出、加藤和彦音楽、朝倉摂美術)に出演[1]。朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国の両国でライブ[2]。
- 2002年 映画『夜を賭けて』(金守珍監督、梁石日原作、丸山昇一脚本、山本太郎主演)の音楽監督担当[1]。
- 2007年 オリジナル曲『傷痍軍人の歌』が 宋神道(ソン・シンド)の慰安婦裁判を追ったドキュメンタリー映画 『オレの心は負けてない』(安海龍監督)の エンディングテーマとなる[1]。
- 2008年 ドキュメンタリー映画『朴保〜歌いたい歌がある』(田中幸夫監督)が韓国の在外同胞映画祭に出品される[1]。
- 2009年 活動を追ったドキュメンタリー映画 『Pak–Poe 朴保』(田中幸夫監督)が公開される[1][3]。
主な参加バンド・ユニット等
[編集]- 朴保&切狂言[1]
- 東京ビビンパ・クラブ[1]
- オギィヨッチャ(Ogie Yocha、サンフランシスコにて結成)[1][2]
- サイケデリックサムライ(Psychedelic Samurai、サンフランシスコにて結成)[1][2]
- 朴保 & His Band(1992 - )[1]
- 波人(1999 - )[1]
- PAK POE Band(1997 - )[1]
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v “PROFILE 朴保 Pak Poe Official Web Site”. 2013年7月6日閲覧。
- ^ a b c d e f “K-magazine 第26号”. 在日コリアン青年連合. 2013年7月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g “在日2世の歌手、朴保・在日の生き様歌い30年”. 東洋経済日報 (東洋経済日報社). (2009年7月10日) 2013年7月6日閲覧。
- ^ a b c d 森 & 安岡 2002, pp. 191–193.
- ^ “怒りのリリシズム” (pdf). 立命館大学. 2013年7月7日閲覧。
- ^ 志田歩. “朴保 超ロング・インタヴュー パート1”. 2013年7月6日閲覧。
- ^ a b “「歌いたい歌がある」~在日コリアンアーティスト朴保~”. フルーク映像. 2013年7月6日閲覧。
- ^ “「A」(1998)”. スティングレイ. 2013年7月6日閲覧。
- ^ “DISCOGRAPHY 朴保 Pak Poe Official Web Site”. 2013年7月9日閲覧。
参考文献
[編集]- 森達也・安岡卓治『A2』現代書館、2002年4月10日。ISBN 978-4768476826。
外部リンク
[編集]- 朴保 Pak Poe Official Web Site | パクポー公式ウェブサイト
- 朴保 Pak Poe (@poeweb) - X(旧Twitter)
- 朴保MUSEUM - ライター志田歩によるファンサイト