京都市立朱雀第八小学校
京都市立朱雀第八小学校 Suzakudaihachi elementary school | |
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北緯35度01分01秒 東経135度43分44秒 / 北緯35.01682度 東経135.72878度座標: 北緯35度01分01秒 東経135度43分44秒 / 北緯35.01682度 東経135.72878度 | |
過去の名称 |
京都市立朱雀第八尋常小学校 京都市朱雀第八国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 京都市 |
設立年月日 | 1937年(昭和12年)1月8日[1][2] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B126210000466 |
所在地 | 〒604-8475 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
京都市立朱雀第八小学校(きょうとしりつ すざくだいはちしょうがっこう)は京都府京都市中京区西ノ京中御門西町にある公立小学校。
沿革
[編集]- 1937年(昭和12年)1月8日 - 京都市立朱雀第八尋常小学校として現校地(現在の中京区西ノ京中御門西町25)に創立[1][3]
- 1941年(昭和16年) - 国民学校令により京都市朱雀第八国民学校と改称[4]
- 1947年(昭和22年) - 学制改革により京都市立朱雀第八小学校となる[4]。
通学区域
[編集]通学区域は、後述する「#朱雀第八学区」の範囲から西ノ京三条坊町の全部と西ノ京西中合町・西ノ京東中合町・西ノ京下合町・西ノ京桑原町の一部を除いたものである[注釈 1][5]。
卒業後の進路
[編集]卒業後は基本的に京都市立朱雀中学校、京都市立北野中学校と京都市立西ノ京中学校に進学する[5]。
交通アクセス
[編集]公共交通機関の最寄駅・停留所は以下のとおり。
- 鉄道
- 路線バス
- 西日本ジェイアールバス 西ノ京円町停留所
- 京都バス 西ノ京円町・伯楽町停留所
- 京都市営バス 西ノ京円町・伯楽町・西ノ京塚本町停留所
関係者
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朱雀第八学区
[編集]朱雀第八学区(すざくだいはちがっく[注釈 2])は、京都市の学区(元学区)のひとつ。京都市中京区に位置する。朱雀第八小学校のかつての通学区域を範囲とする、京都市の地域自治の単位となっている。
朱雀第八学区の名称の朱雀のもととなるのは明治22年(1889年)の町村制施行に伴い、聚楽廻、西京村、壬生村が合併して成立した朱雀野村である。朱雀野村は大正7年(1918年)に西院村の一部と共に京都市下京区(当時)に編入され、編入された区域は下京第34学区となった。
下京第34学区は、昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名により改称され、上京区・下京区から、左京区・中京区・東山区が分区されると、朱雀学区となり、中京区に属した[6]。
学区内には、明治37年(1904年)に朱雀野小(のちに朱雀第一小と改称)が創立し、大正元年(1912年)には朱雀野第二小(のちに朱雀第二小と改称)、大正10年(1921年)には松原小(のちに朱雀第三小と改称)、昭和4年(1929年)に朱雀第四小、昭和5年(1930年)に朱雀第五小、昭和7年(1932年)に朱雀第六小、昭和8年(1933年)に朱雀第七小、昭和12年(1937年)に朱雀第八小が創立された[3][注釈 3]。
昭和16年(1941年)に国民学校令の施行により学区の根拠が失われ[7](京都市の学区そのものは昭和17年(1942年)に廃止[8])、昭和16年6月に国民学校の通学区域を単位とする町内会連合会が発足[7][注釈 4]。朱雀第八国民学校の通学区域を単位として朱雀第八町内会連合会が設置され[9]、戦後のポツダム政令[10]による解体ののち、住民自治の単位である現在の朱雀第八学区となった。
地理
[編集]朱雀第八学区は、中京区の北西端に位置し、北側が大将軍学区(北区)・仁和学区(上京区)、東側が朱雀第二学区・朱雀第四学区、南側・西側が右京区の花園学区・安井学区・太秦学区・山ノ内学区・西院第一学区と接する[11]。区域は、概ね東は西大路通・紙屋川、北は妙心寺道の一筋北の通り、西は木辻通、南は三条通であり、西ノ京を冠称する町の一部から構成される。面積は1.047 平方キロメートルであり[注釈 5]、中京区の学区(元学区)の中では最も大きな面積を持つ[12]。
人口・世帯数
[編集]京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[13]、朱雀第八学区の区域に設定されている国勢統計区(中京区第12国勢統計区[注釈 6])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は11,622人、5,950世帯である。
朱雀第八学区の通り
[編集]朱雀第八学区の町名
[編集]交通
[編集]- 鉄道
- 路線バス
- 京都市営バス 京都バス 西日本JRバス 停留所
- 西ノ京円町
- 京都市営バス 京都バス 停留所
- 伯楽町
- 西ノ京馬代町
- 西大路三条
- 三条春日
- 京都市営バス 停留所
- 北野中学前
- 太子道
- 西ノ京塚本町
- 西ノ京藤ノ木町
- 西大路御池
- 西小路御池
主な施設
[編集]- 教育機関
- 花園大学(西ノ京壷ノ内町)
- 洛陽総合高等学校(西ノ京春日町)
- 京都市立西京高等学校・附属中学校(西ノ京東中合町)
- 京都市立北野中学校(西ノ京中保町)
- 御土居跡
- 京都市立朱雀第八小学校(西ノ京中御門西町)
- その他
歴史
[編集]- 史跡
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脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 西ノ京東中合町・西ノ京下合町については、町全域が朱雀第四小の通学区域となる。
- ^ 学区(元学区)の読みは、『中京暮らしの文化・歴史絵巻』 (2020), p. 27, 「朱雀第八学区」にもとづく。
- ^ 第二次世界大戦前の京都市の学区については、学区内に新たに小学校が創立して通学区域が分割されても、学区の区域が分割されることはなかった。(→「京都の元学区」の記事を参照。)
- ^ 『中京暮らしの文化・歴史絵巻』 (2020)など中京区役所の資料で昭和16年に朱雀地域が8つの学区となると記しているのは、このときに8つの小学校(国民学校)に対応して8つの町内会連合会が設置されたことによると考えられる。
- ^ 京都市地域統計要覧ウェブサービスの国勢統計区別集計において、総務省統計局「地図で見る統計(jSTAT MAP)」に登録されている境界データから算出された数値として示される面積。
- ^ 令和2年国勢調査時点
出典
[編集]- ^ a b c “朱雀第八小学校 学校沿革史”. 2024年3月24日閲覧。
- ^ a b 『京都市立学校園沿革史』 (1981), p. 77, 「京都市立朱雀第八小学校」
- ^ a b c 『京都市学区大観』 (1937), pp. 76–79, 「中京区朱雀学区」
- ^ a b c “京都市立小学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2024年3月2日閲覧。
- ^ a b c “京都市通学区町名一覧(中京区)”. 京都市教育委員会. 2024年3月2日閲覧。
- ^ 「昭和4年3月29日京都府告示第80号」京都市 編『京都市 地名・町名の沿革』1994年、50-51頁。
- ^ a b 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 1 (政治・行政編)』京都府、1971年、248頁。doi:10.11501/9537070 。
- ^ 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 5 (教育編)』京都府、1970年、202頁。doi:10.11501/9537074 。
- ^ 京都市戦時生活局振興課 編「各區町內會聯合會別地域組合、高額貯蓄組合竝ニ國債債劵隣保消化目標額」『国民貯蓄増強のしるべ 昭和18年度』京都市、1943年、14-24頁。doi:10.11501/1274568 。
- ^ 町内会部落会又はその連合会等に関する解散、就職禁止その他の行為の制限に関する政令(昭和22年政令第15号)
- ^ “令和2(2020)年 国勢調査地図”. 2024年2月17日閲覧。
- ^ “京都市中京区役所:朱雀第八学区(素晴らしきわがまち)”. 2024年3月30日閲覧。
- ^ “用語の解説(京都市の人口 令和2年国勢調査結果)”. 2023年8月17日閲覧。
参考文献
[編集]- 『京都市学区大観』京都市学区調査会、1937年。doi:10.11501/1440637。
- 『京都市立学校園沿革史』京都報道センター、1981年。doi:10.11501/12111830。
- 中京区民ふれあい事業実行委員会90周年事業検討部会『中京区制90周年記念事業 中京暮らしの文化・歴史絵巻』2020年 。2024年3月2日閲覧。