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朱永植

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
朱永植
주영식
生年月日 (1942-10-20) 1942年10月20日(82歳)
出生地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮平安南道
所属政党 朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党

当選回数 2回
在任期間 2014年3月 -
最高指導者 金正恩2011年 - )

朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党軍需工業部長(推定)
在任期間 2017年10月 -

朝鮮労働党の旗 慈江道党委員会責任書記
在任期間 2010年10月 - 2012年2月

在任期間 2010年9月 -
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朱永植
各種表記
チョソングル 주영식
漢字 朱英植
発音 チュ・ヨンシク
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朱 永植(朱 英植、チュ・ヨンシク、朝鮮語: 주영식1942年10月20日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国政治家朝鮮労働党中央委員会委員、朝鮮労働党軍需工業部長(推定)。慈江道党委員会責任書記、平壌直轄市党委員会書記などを歴任した。

経歴

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1942年日本統治下の平安南道で生まれた。1986年平壌直轄市党委員会書記に任命され、1990年に建設師団の政治部長に転じた。2000年に平壌市党書記に戻り、2010年9月28日に開催された朝鮮労働党第3回党代表者会で、朝鮮労働党中央委員会委員に選出された[1]。同年10月慈江道党委員会責任書記に任命され[2][3]2011年12月金正日総書記死去した際には、国家葬儀委員会委員に選ばれた[2][4]2012年2月慈江道党委員会責任書記を解任されたが[2]2014年3月最高人民会議第13期代議員に選出された[5]2016年5月9日に開催された朝鮮労働党第7次大会朝鮮労働党中央委員会委員に再選され[6]2017年10月7日に開催された朝鮮労働党中央委員会第7期第2回総会で、党中央委員会部長に任命された[7]。担当部署は李万建の後任として、軍需工業部長に就いたと推測される[8]

脚注

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  1. ^ 北노동당 중앙위원 및 후보위원 명단 聯合ニュース 2010年9月29日
  2. ^ a b c リュ・ヨンソプが慈江道責任書記に任命 デイリーNK 2012年2月13日
  3. ^ 평양시 면적 절반 줄어.. 당중앙군사위는 당중앙위 산하로 統一ニュース 2011年2月14日
  4. ^ 北, 장의위원회 김정은 등 232명 구성 デイリーNK 2011年12月19日
  5. ^ 북한 최고인민회의 제13기 대의원 687명 명단 デイリーNK 2014年3月11日
  6. ^ 北, 당 중앙위원 128명, 후보위원 106명 발표 ノーカットニュース 2016年5月10日
  7. ^ 朝鮮労働党中央委員会の総会…金与正氏が党中央委員に デイリーNK 2017年10月8日
  8. ^ 正恩氏秘密資金の管理人交代か 目的は制裁回避? 聯合ニュース 2017年10月11日

参考サイト

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 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
先代
朴道春
慈江道党委員会責任書記
2010年 - 2012年
次代
柳英燮