朱椿
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朱 椿(しゅ ちん、洪武4年3月18日(1371年4月4日)- 永楽21年2月11日(1423年3月22日))は、明の皇族。
経歴
[編集]初代皇帝である朱元璋(洪武帝)の十一男。生母は郭惠妃(郭子興の娘)。第3代皇帝である永楽帝の異母弟。
洪武11年(1378年)に父より蜀王に封じられ、洪武23年(1390年)に封地の成都に赴いた。仁愛・忠孝・文才に優れ、父からは蜀の秀才と謳われた。方孝孺を招聘して息子の教育係にしたり、各国の教育者に資金を援助したりした。蜀の統治では民政に尽くし、礼教をもってなす和平・穏健政策を用いたことから、蜀の地は明末期に至る200年間にわたって反乱が起こらず、平和な時代が続いたという。この実力は異母兄の永楽帝にも認められて重用された。
同母弟の朱橞が謀反を画策した際、朱椿は永楽帝に密告して連座を免れた。晩年には蜀の王位をめぐって一族で争いが起き、その失意の中で永楽21年(1423年)に死去した。享年53。
参考文献
[編集]- 『明史』列伝第五 諸王二