札幌市公文書館
札幌市公文書館(さっぽろしこうぶんしょかん)は、北海道札幌市中央区南8条西2丁目に所在する歴史資料館。札幌市政に関する重要な公文書を保管・公開している。札幌市文化資料室を前身とする。
札幌市政で非現用となった重要な公文書(特定重要公文書)を、保管・公開する施設として開設された。公文書の他には歴史的資料物(行政資料・図書・写真・地図・絵葉書・新聞スクラップ・私文書等)が所蔵されている[1]。郷土史相談室を設け、札幌の歴史に関する相談にも応じている[2]。
沿革
[編集]- 1976年 - 教育委員会に文化資料室設置。さっぽろ文庫、新札幌市史の刊行。
- 2000年 - 第4次長期総合計画・第1次5年計画(平成12~16年度)に「歴史的公文書等の保存・活用に関する基礎調査」が盛り込まれる。
- 2003年 - 「札幌市及び市民が所有する図書・資料等の収集と保管・公開を行う機能(施設)の整備に関する陳情」が市議会で採択。
- 2004年 - 「歴史的公文書等の保存・活用に関する基礎調査結果報告書」作成。歴史的公文書等収集保存事業開始。
- 2006年4月 - 歴史資料物を札幌市資料館より移設。旧・札幌市立豊水小学校に札幌市文化資料室として開設[2]。
- 2009年11月 - 札幌市公文書館基本構構想を策定。
- 2011年6月 - 札幌市公文書館整備計画を策定。
- 2012年6月 - 札幌市公文書管理条例を制定。
- 2013年
- 3月 - 札幌市公文書館条例を制定。
- 7月 - 札幌市公文書館を開館。
- 2020年 -札幌市公文書館のSNS公式アカウントを開設。
- 2024年2月16日 - 公文書館ロゴマークを制定
施設
[編集]- 営業時間:8:45 - 17:15
- 休館日:日・月曜日・祝日・12月29日-1月3日
- 入場料:無料
豊水まちづくりセンター(豊水会館)を併設。
旧・豊水小学校
[編集]札幌市立豊水小学校(さっぽろしりつ ほうすいしょうがっこう)は、かつて北海道札幌市中央区南8条西2丁目に存在した公立小学校である。札幌市公文書館は、廃校後の本校の校舎を利用している。
第二次世界大戦前は各種スポーツが盛んな小学校としてで知られ、戦前の北海タイムス社主催の「全道(樺太)少年野球大会」では、第2・4・6回大会で優勝している[3]。
児童数は戦前から比較的多かったが、戦後も札幌市の人口急増に伴って増え続け、1951年(昭和26年)に一部の児童が新設の札幌市立曙小学校に移籍した。その後は1955年(昭和30年)の2351人(40学級)をピークに減少に転じたが、特に市内中心部のドーナツ化現象が進んだ1960年代の激減は甚だしく、1969年(昭和44年)にはピーク時の約4分の1の634人まで減少した[4]。以後は一学年約50~80人台で推移したが[4]、ドーナツ化現象に少子化も加わった1990年代以降は再び児童数の減少が進み、2000年代に入ると一学年約20人前後に落ち込んだこともあり[5]、2004年(平成16年)に札幌市立資生館小学校へ統合されて廃校した[5][6]。
沿革(豊水小学校)
[編集]- 1882年(明治15年)6月20日 - 藻岩学校第一分校が開校[7]。校舎は南1条西2丁目の豊振夜学校に間借りしていた[7]。
- 1884年(明治17年)12月27日 - 藻岩学校第一分校を廃止し、新たな学校を設置する認可が下りる[8]。
- その後直ちに豊水学校を設立、南2条東2丁目に仮校舎を置く(推定)[9]。
- 1885年(明治18年)2月10日 - 南5条東2丁目の本校舎に移転し、開校式を挙行[5][10]。
- 1886年(明治19年)4月1日 - 創成小学校第二分校となる[11]。
- 1893年(明治26年)4月1日 - 豊水小学校となる[12]。
- 1895年(明治28年)4月1日 - 豊水尋常小学校となる[13]。
- 1900年(明治33年)11月24日 - 南8条西2丁目に新校舎落成、移転[5][14]。この日を開校記念日とする[15]。
- 1907年(明治40年)4月1日 - 豊水尋常高等小学校となる[16]。
- 1931年(昭和6年)4月1日 - 豊水尋常小学校となる[17]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 豊水国民学校となる[18]。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 豊水小学校となる[18]。
- 1985年(昭和60年)11月24日 - 開校百周年記念式典を挙行[19][20]。
- 2004年(平成16年)2月27日 - 札幌市立資生館小学校へ統合され廃校[5][6]。
豊水の庭
[編集]札幌市公文書館の敷地内には、旧・豊水小学校の施設を保存する「豊水の庭」がある。
- 大典記念文庫
- 1916年(大正5年)、大正天皇の即位を記念して設立された文庫。「さっぽろ・ふるさと文化百選」のNo. 008に選定されている。
- ほうすい師弟の像
- 1940年(昭和15年)11月に建立されたレリーフ。1908年(明治41年)2月から33年にわたって勤務し、校長も務めた[21]山口初太郎の功績を顕彰したもの[3]。戦時中、金属部品の材料として供出されたが、1950年(昭和25年)に再建された[3]。
脚注
[編集]- ^ 梅藤夕美子 (2023年2月28日). “札幌市公文書館所蔵資料の現状と地域における役割”. 国立公文書館. 2023年3月12日閲覧。
- ^ a b 宮本奈実「郷土史相談室だより(5): 旧豊水小学校に移り3年が経って…」(pdf)『文化資料室ニュース』第7号、札幌市、2009年3月、2024年3月17日閲覧。「平成18年4月、文化資料室は札幌市資料館(大通西13丁目)から旧豊水小学校(南8条西2丁目)に移転しました。[...] 郷土史相談室では札幌の歴史に関するご相談等を受け付けております。」 ※pdf配布元は札幌市ウェブサイトの「旧文化資料室ニュース」ページ。
- ^ a b c 『札幌の小学校』17頁
- ^ a b 『豊水百年』233頁
- ^ a b c d e “118年の歴史に幕… 札幌市立豊水小、4校統合で閉校式 /北海道”. 毎日新聞. (2004年2月28日)
- ^ a b “児童・小学校の数 どんどん減ってる!”. 北海道新聞. (2004年4月7日)
- ^ a b 『豊水百年』25頁
- ^ 『豊水百年』27‐28頁
- ^ 『豊水百年』28頁
- ^ 『豊水百年』29頁
- ^ 『豊水百年』186頁、『札幌の学校』97頁。『豊水百年』33頁では4月4日となっているが、誤植か。
- ^ 『豊水百年』35頁。『札幌の小学校』97頁では学校名を「豊水簡易小学校」としているが、疑問。『豊水百年』によると、創成小学校第二分校となった1886年(明治19年)に簡易小学校(3年制)となり(33-34頁)、新校舎が落成した1891年(明治24年)4月1日に尋常科課程(4年制)に改組されている(35頁)。これに対し、『札幌教育史 上巻』161頁、『新札幌市史 第2巻』822頁には、1893年(明治26年)4月に独立して「豊水小学校」と称し1895年(明治28年)4月に簡易科を尋常科に改め「豊水尋常小学校」と改称したとある。
- ^ 『豊水百年』186頁
- ^ 『豊水百年』46頁
- ^ 『豊水百年』48頁
- ^ 『豊水百年』50頁、187頁。『札幌の小学校』97頁では「明治41・4・1」となっているが、間違いであろう。
- ^ 『札幌の小学校』97頁
- ^ a b 『豊水百年』189頁
- ^ “完成間近のアイスホッケー場 市へ正式に寄贈”. 北海道新聞. (1985年11月25日)
- ^ 『札幌の小学校』15頁では「昭和61年11月」となっているが、間違い。
- ^ 像の裏面の碑文に「明治四十一年二月本校訓導トシテ赴任セラレ大正十一年五月校長ニ補セラル 勤続三十有余年今日ニ逮フ」、日付は「昭和十五年十一月二十四日」とある。
参考文献
[編集]- 「豊水百年」編集委員会 編『豊水百年』豊水小学校開校百周年記念事業協賛会、1985年11月。国立国会図書館書誌ID:000001808388。
- 山崎長吉『札幌教育史』上巻、第一法規出版、1986年7月。
- 札幌市教育委員会文化資料室 編『札幌の小学校』札幌市〈さっぽろ文庫 46〉、1988年。
- 札幌市教育委員会 編『新札幌市史』第2巻(通史2)、北海道新聞社、1991年10月。ISBN 4-89363-144-6。
外部リンク
[編集]座標: 北緯43度3分5.6秒 東経141度21分26.9秒 / 北緯43.051556度 東経141.357472度