本阿弥氏
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本阿弥氏 | |
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本姓 | 菅原氏五条庶流[1] |
家祖 | 妙本阿弥 |
種別 | 刀剣鑑定 |
出身地 | 山城国 |
主な根拠地 | 山城国 |
著名な人物 | 本阿弥光悦 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
本阿弥氏(ほんあみし/ほんなみし)は、刀剣の鑑定で知られた一族。主な支流は12家を数えた[2]。
概要
[編集]菅原氏の一族である五条季長の弟、長春が「妙本阿弥」を称したのが始まりとされる[1]。妙本は実際には季長の祖父に当たる五条高長の庶子、長経の子ともされている[1]。妙本は松田の名字を名乗って足利尊氏に仕え、104歳の長寿を保ち、文和2年から4年頃(1353年-1355年)に没したという[1]。妙本の曾孫にあたる妙寿の養子本光は足利義教に仕えた[1]。
光二流本阿弥家
[編集]戦国時代後期の当主光心は男子が生まれなかったため、娘の妙秀に片岡家から養子光二を迎えた。光心には後に男子本阿弥光刹が生まれたため、本阿弥氏の宗家はこの系統が継ぐこととなる[3]。光二は前田利家が小身の頃から仕えており、加賀前田氏と深い関係を結ぶこととなる[2]。光二の子、光悦は刀剣鑑定のみならず書画・茶器などの多様な美術分野で活躍し、徳川家康から鷹峯の地(光悦村)を賜った[2]。光悦の養子本阿弥光瑳は加賀藩から200石の知行を与えられ、その子本阿弥光甫は100石の加増を受け、5男光山の系統にも150石の知行があたえられた[3]。光甫の子光伝は鷹峯の維持が困難になり、これを幕府に返上している[4]。この系統は京都で禁裏御用などを務めていたが、光伝が病死し、跡を継いだ弟光通の代で京都を離れ、江戸に移住することを余儀なくされている[4]。明治元年(1868年)には一家揃って金沢に移住している[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 横山方子「本阿弥光悦の子孫と金沢」『金沢大学文化財学研究 = Annual report of the Center for Archaeological Research, The University of Kanazawa』第5巻、金沢大学埋蔵文化財調査センター = Center for Archaeological Research, The University of Kanazawa、2003年、ISSN 13460099、NAID 120003141842。
- 太田亮『姓氏家系大辞典 第3巻』姓氏家系大辞典刊行会、昭和9-11、5428-5429頁。doi:10.11501/1131019。NDLJP:1131019/680。