本田村 (広島県)
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ほんだそん 本田村 | |
---|---|
廃止日 | 1954年3月31日 |
廃止理由 |
新設合併 庄原町、高村、本田村、敷信村、山内東村 、山内西村 、山内北村 → 庄原市 |
現在の自治体 | 庄原市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 広島県 |
郡 | 比婆郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,703人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 敷信村、高村、西城町、帝釈村、甲奴郡領家村・田総村、双三郡三良坂町 |
本田村役場 | |
所在地 | 広島県比婆郡本田村 |
ウィキプロジェクト |
本田村(ほんだそん[1][2])は、広島県比婆郡にあった村。現在の庄原市の一部にあたる。
地理
[編集]本村川の流域に位置していた[2]
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、三上郡本村、峰田村が発足[3]。
- 1898年(明治31年)10月1日、郡の統合により上記2村は比婆郡に所属[3]。
- 1942年(昭和17年)2月11日、上記2村が合併して本田村が発足[1][2]。峰、春田、本、上谷の4大字を編成[2]。この合併は広島県の要請で行われ、本村川に沿った細長い村域となり、役場の設置場所の合意が得られず大字本と大字峰に交互に置かれた[2]。
- 1954年(昭和29年)3月31日、比婆郡庄原町、高村、敷信村、山内東村、山内西村、山内北村と合併し、市制施行し庄原市を新設して廃止された[1][2]。
地名の由来
[編集]合併村名の各一文字を組み合わせたもの。
産業
[編集]- 農業、商業[2]
交通
[編集]乗合バス
[編集]教育
[編集]- 1947年(昭和22年)県立庄原高等学校(現広島県立庄原実業高等学校)本田分校開校[2]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 34 広島県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。