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本木昌左衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

本木 昌左衛門(もとき しょうざえもん、享和元年8月25日1801年10月2日) - 明治6年(1873年1月27日[1])は、江戸時代後期の阿蘭陀通詞(オランダ通詞)。名は、久美昌栄。昌左衛門は通称[2]

人物・経歴

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長崎で蘭通詞阿蘭陀通詞オランダ語通訳)の家系に生まれる(本木家五代目)。父は日本初の英語辞書を編纂した本木庄左衛門(正栄)[2]

1834年(天保5年)に親戚の黒田又次右衛門の二男を養子として迎え、その子は名を元吉(後の本木昌造)と改めた。後に昌造は日本の活版印刷で功績を上げた[3]

1848年(嘉永元年)10月から翌年4月にかけて、長崎でラナルド・マクドナルドから、森山栄之助を始め蘭通詞(オランダ語通訳)14名のうちの一人として英語を学ぶ[4]

脚注

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  1. ^ 渡辺庫輔『阿蘭陀通詞本木氏事略』(長崎学会、1956年)p.98
  2. ^ a b 長崎県印刷工業組合 本木昌造顕彰会 『本木家による日本で初めての功績』 2016年5月1日
  3. ^ 平野富二とその周辺 『平野富二の師 本木昌造』 古谷昌二
  4. ^ 長崎南ロータリー倶楽部 森山栄之助を称えて『Vol.4 日本最初の英語学習グループ』