本多恵隆
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本多 恵隆(ほんだ えりゅう、1876年(明治9年)10月30日 - 1944年(昭和19年)5月18日)は、長野県出身の西本願寺(浄土真宗本願寺派本山)の僧。大谷光瑞が中央アジアに派遣した第一次大谷探検隊(1902年 - 1904年)に加わった。
生涯
[編集]- 1876年(明治9年)10月30日 - 長野県上高井郡山田村(現・高山村桝形)の龍甲山徳正寺にて、父・法運、母・初衣との間に生まれる。幼名、隆麿。
- 1890年(明治23年) - 高等小学校卒業後、西本願寺の文学寮に入学する。
- 1894年(明治27年) - 文学寮本科課程を卒業し、得度する。
- 1898年(明治31年) - 北アメリカ出張。
- 1899年(明治32年) - 大谷光瑞の清国巡遊に随行。イギリス・オランダ留学。
- 1900年(明治33年) - 大谷光瑞の北極旅行に随行。
- 1901年(明治34年) - 留学中の他の僧侶とともにパリに集結。
- 1902年(明治35年) - 第1次大谷探検隊、ロンドンを出発。
- 1903年(明治36年) - ネパール、カルカッタ、ボンベイ、東南アジアを調査の後、帰国。
- 1904年(明治37年) - 月原美寿と結婚。
- 大正~昭和 - 西本願寺の執行長等を歴任。
- 1944年(昭和19年)5月18日 - 京都にて死去。68歳。法名は超勝院釈恵隆。
参考文献
[編集]- 本多隆成『大谷探検隊と本多恵隆』図書印刷、1994年