本多康融
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化9年(1812年) |
死没 | 安政5年3月25日(1858年5月8日) |
墓所 | 霊巌寺 (江東区) |
官位 | 従五位下、隼人正、隠岐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家慶→家定 |
藩 | 近江膳所藩主 |
氏族 | 本多氏 |
父母 | 父:本多康禎、母:不詳 |
兄弟 | 康融、綱張、衛弼、康穣、家保 |
妻 | 正室:順姫(島津斉興の娘) |
子 | 養子:康穣 |
本多 康融(ほんだ やすあき)は、近江膳所藩の第13代藩主。康俊系本多家宗家13代。
経歴
[編集]第12代藩主・本多康禎の長男として誕生、文政10年(1828年)8月15日、将軍徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下隼人正に叙任した。弘化4年(1847年)4月13日、父の隠居により跡を継いだ。安政元年(1854年)から外国船の来航などにより世情不安が高まると、御所の警備や大坂湾における外国船に対する警備などを務めた。安政3年(1856年)4月7日、弟の康穣に家督を譲って隠居し、安政5年(1858年)3月25日に47歳で死去した。
系譜
[編集]父母
- 本多康禎(父)
正室
- 順姫 ー 島津斉興の娘
子女
- 本多康穣 ー 実弟