木骨閭
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木骨閭(呉音:もくこちろ、漢音:ぼくこつりょ、拼音:Mùgŭlǘ、生没年不詳)は、柔然の始祖。木骨閭[1]というのは、字(あざな)で、姓名は不明。木骨閭の意味は禿頭。これが柔然の可汗氏族、郁久閭(いくきゅうりょ、Yùjiŭlǘ)氏の語源となった。
生涯
[編集]鮮卑拓跋部の拓跋力微(在位:220年 – 277年)の末年、略奪に出た騎兵が一人の奴隷を捕えた。奴隷の頭髪は眉と同じ高さでそろっており、元の姓名を忘れていたので、奴隷の主人はその見た目(辮髪)からか“木骨閭”(ハゲ頭)という字を付けた。
木骨閭は壮年になると、奴隷から解放されて騎卒となった。
拓跋猗盧(在位:308年 - 316年)の時代、期限に遅れた罪を問われて斬刑に処せられるところ、広大な砂漠(ゴビ砂漠)や渓谷の間を逃げ隠れながら、刑罰から逃れた者たちを集めて、百人余りを得ると高車紇突隣部を頼った。
木骨閭が亡くなると、子の車鹿会が立った。
脚注
[編集]- ^ 白鳥庫吉(1910年)は「木骨閭」を禿頭に関連するモンゴル語の「mukhur」(ムクル:円き、稜角をとれる)に比定したが、H.W.Haussig(1953年)は古代モンゴル語の「qur,qurt」(クル、クルト:虫。或は狼を指す隠語としての虫。)に比定し、柔然が狼をトーテムとし、且つその狼をqur(虫)と称した種族であったと説いた。《『騎馬民族史1』p218 注4》
参考資料
[編集]- 『魏書』(列伝第九十一 蠕蠕)
- 『北史』(列伝第八十六 蠕蠕)
- 内田吟風、田村実造他訳注『騎馬民族史1 正史北狄伝』(平凡社東洋文庫、1971年)
- 内田吟風『北アジア史研究 匈奴篇』(同朋舎〈東洋史研究叢刊〉、1975年、ISBN 481040627X)
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