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木村直樹 (陸軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
木村 直樹
生誕 1888年9月15日
日本の旗 日本 山口県
死没 (1957-12-28) 1957年12月28日(69歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1910年 - 1942年
1942年 - 1944年
1944年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
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木村 直樹(きむら なおき、1888年明治21年)9月15日[1] - 1957年昭和32年)12月28日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]

経歴

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1888年(明治21年)に山口県で生まれた[1]陸軍士官学校第22期卒業[3]1937年(昭和12年)に陸軍歩兵大佐に進級し、札幌連隊区司令官に就任[2]1939年(昭和14年)5月に歩兵第119連隊長(第1軍第109師団、歩兵第118旅団)に転じ[2]日中戦争に出動[1]。五台作戦、潞安掃討戦などを連戦し[3]、同年12月に京都連隊区司令官に転じた[2]

1941年(昭和16年)9月に陸軍少将に進級し、歩兵第19旅団長(第14方面軍第16師団)に就任。フィリピン攻略戦に参加した[3]。同年10月に第16歩兵団長に転じ[1]1942年(昭和17年)8月31日予備役に編入された[1]9月1日に召集され、父島要塞司令官に着任し[1]1944年(昭和19年)2月14日に召集解除となった[2]。同年6月21日に召集され、京都連隊区司令官に就任[1]1945年(昭和20年)3月に兼京都地区司令官となり[1]、終戦を迎えた。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

栄典

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位階
勲章等

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 福川 2001, 264頁.
  2. ^ a b c d e 外山 1981, 287頁.
  3. ^ a b c 福川 2001, 265頁.
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」54頁。
  5. ^ 陸軍少将木村直樹外八名特旨叙位の件/海軍中将清水光美外二名、元運輸通信省海運総局海運局長新谷寅三郎外四名」 アジア歴史資料センター Ref.A12090438700 
  6. ^ 『官報』第3232号「叙任及辞令」1937年10月9日。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026