三遊亭小円・木村栄子
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(木村栄子から転送)
三遊亭小円・木村栄子(さんゆうてい こえん・きむら えいこ)は、昭和期に活躍した夫婦漫才のコンビ。
メンバー
[編集]三遊亭 小円 | |
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本名 | 黒田 博毅 |
生年月日 | 1910年5月31日 |
没年月日 | 1975年11月30日(65歳没) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府 |
言語 | 日本語 |
コンビ名 | 三遊亭小円・木村栄子 |
相方 | 三遊亭小圓治、木村栄子 |
芸風 | 漫才 |
立ち位置 | 右 |
事務所 | 松竹芸能 |
活動時期 | 1928年? - 1975年 |
- 三遊亭 小円(さんゆうてい こえん、1910年5月31日 - 1975年11月30日)本名は黒田 博毅。
- 1928年ころ、道頓堀弁天座で開催された「萬歳大会」において、三遊亭小圓治と組み、漫才に転向。1937年7月に夫人の木村栄子と漫才コンビ「三遊亭小円・木村栄子」を組んだ。小円・栄子は三味線を用いた漫才で、戦後は松竹芸能に所属した。
木村 栄子 | |
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本名 | 黒田 ミサオ |
生年月日 | 1912年12月11日 |
没年月日 | 1983年5月11日(70歳没) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 徳島県小松島市 |
言語 | 日本語 |
コンビ名 | 三遊亭小円・木村栄子、平和日佐丸・木村栄子、島ひろし・木村栄子 |
相方 | 三遊亭小円、平和日佐丸、島ひろし |
芸風 | 漫才 |
立ち位置 | 左 |
活動時期 | 1937年 - 1983年 |
コンビ略歴
[編集]1937年7月コンビ結成。同年に神戸の漫才専門の寄席・千代廼座で初舞台。戦後は松竹芸能に専属し、長らく道頓堀角座をホームグラウンドにしていた。
栄子は小円の死後、5代目平和日佐丸(夜久秀二郎)と組む。1977年6月に5代目日佐丸とのコンビを解消し、漫談を経験したのち、1978年10月より島ひろしと組んだ。
弟子
[編集]木村栄子
芸風
[編集]しゃべくりの合間に小円が三味線を弾き、栄子が歌謡曲を歌ったり、新内、義太夫、縁かいな節を語ったりする。
栄子の美人とはいえない容姿を活かしたギャグがあった。
- 「顔見んと着物見ておくんなはれ」と言って、体を一回転させる。
- 歌っているときに、ふたりの目が合うと、小円が栄子に「あっちゃ(=あっち)向いて歌い」と言う。館内爆笑となり、栄子は苦笑しながら歌い続ける。
エピソード
[編集]- 師匠を持たず、歌以外の芸を持たなかった栄子は、先輩芸人や興行主に「ギャラ泥棒」と呼ばれ、いじめられたという。
- 若井はんじ・けんじとは家族のような付き合いがあった。小円が肺がんになった際は、すでにがんに侵されていたはんじが、苦しむそぶりを見せず毎日病院に通い看病したという。
受賞歴
[編集]音源・映像
[編集]- 夫婦漫才(SP、ローオンレコード)
- 私の生き甲斐(SP、ローオンレコード)
- 実況録音 上方漫才黄金時代(CDボックス・セット、日本コロムビア、1996年 Disc-8に『お笑い三人吉三』を収録)
- 澤田隆治が選んだ 爆笑! 漫才傑作選 5(CD、日本コロムビア、2004年 『お笑い婦系図』を収録)
- 伝説の昭和上方漫才 松竹名人会 (DVDボックス・セット、ソニー・ミュージックダイレクト、2007年)
参考文献
[編集]- 現代上方演芸人名鑑(1980年、少年社)