木村庄太郎 (13代)
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基礎情報 | ||||
行司名 | 木村喜太郎 → 木村喜多雄 → 初代木村善之輔 → 13代木村庄太郎 | |||
本名 |
もりやま きたお 森山 喜多雄 | |||
生年月日 | 1885年2月20日 | |||
没年月日 | ? | |||
出身 | 日本・神奈川県横浜市 | |||
所属部屋 | 荒磯部屋 → 春日野部屋 | |||
データ | ||||
現在の階級 | 引退 | |||
最高位 | 三役格 | |||
初土俵 | 1903年5月 | |||
幕内格 | 1920年春場所 | |||
三役格 | 1941年春場所 | |||
引退 | 1959年11月 | |||
備考 | ||||
木村庄太郎(13代)(きむら しょうたろう、1885年2月20日[1] - ? )は、大相撲の元三役格行司。三役格としての在位期間は1941年1月~1959年11月。本名、森山喜多雄。
人物
[編集]横浜の呉服商の生まれで長野県に移った[2]。荒磯部屋から春日野部屋所属。26代式守伊之助や27代式守伊之助、29代式守伊之助の師匠格であった。当時としては遅い16歳ほどで初土俵を踏んだ[2]。木村喜太郎で初土俵を踏み、1903年5月番付行司欄に掲載。1913年春場所8日目に青白房(十両格)に昇格[3]。1915年春場所喜多雄に改名。1919年春場所木村善之輔を襲名。1920年春場所幕内格に[3]。1941年春場所三役格に昇進。1947年6月13代木村庄太郎を襲名。立行司には昇進できず、1959年11月場所限り定年制実施で74歳で定年退職。在職中より大阪で料亭と相撲茶屋を経営していたが[4]、晩年の消息は不明。
略歴
[編集]- 1903年夏場所 番付に木村喜太郎で掲載。
- 1913年春場所 8日目より十両格に昇格。(番付では1913年夏場所)
- 1920年春場所 幕内格に昇格。
- 1941年春場所 三役格に昇格。
- 1959年11月場所限り定年退職。
その他
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ “過去の行司部屋”. web.archive.org (2003年12月8日). 2019年12月12日閲覧。
- ^ a b 『思い出いろいろ 話の団扇箱 最終回 私のあった忘れられない人々』 別冊NHKウイークリーステラ 大相撲特集 夏場所 1999年5月発行
- ^ a b 根間弘海「大正時代の番付と房の色」『専修経営学論集』第90号、専修大学経営学会、2010年3月、207-258頁、doi:10.34360/00005468、ISSN 03864375、NAID 120006793276。
- ^ “二十二代庄之助一代記〈第十九回〉”. www.syounosuke.net. 庄之助. 2023年12月1日閲覧。