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木村三津子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
きむら みつこ
木村 三津子
木村 三津子
1952年
本名 木村 光子[1]
生年月日 (1932-05-02) 1932年5月2日(92歳)
出生地 東京府荏原郡世田谷町[1]
国籍 日本の旗 日本
職業 女優
ジャンル 映画
活動期間 1952年 - 1955年
主な作品
映画
千羽鶴』 / 『やさしい狼犬部隊
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木村 三津子(きむら みつこ、1932年5月2日[1] - )は、東京府荏原郡世田谷町[1]出身の女優

来歴

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玉川学園在学中に日劇で貝谷八百子のバレエ『真夏の夜の夢』を見て感激し、島田バレエ団に入る。1948年9月、玉川学園を中退して日劇ダンシングチーム(NDT)の4期研究生となる。1949年1月に初舞台を踏むが、リューマチ関節炎となり退団。49年3月、東宝に入り大部屋女優となる。同年12月、電通専属モデルとなる[2]

1951年8月、米人カメラマンにスカウトされ雑誌『ライフ』51年12月31日号のカバーガールに起用され一躍有名になる。52年10月『いついつまでも』(大映)で女優デビュー。1954年1月、関節炎が悪化し大映退社。フリーとなる[2]

同年12月、脚部治療がきっかけで知り合った日系人二世の薬剤師と結婚。『やさしい狼犬部隊』 (1955年コロムビア映画)を最後に引退した[2]

出演映画

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『いついつまでも』(1952年)。右はクリス・ドレーク(Chris Drake)。
『若い人たち』(1954年)。右は金子信雄

以下の公開日、作品名、製作会社、役名は特に記載がない限りKINENOTEに従った[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e 木村三津子KINENOTE、2021年11月11日閲覧
  2. ^ a b c 『日本映画俳優全集女優編』1980年、キネマ旬報社刊。244頁
  3. ^ いついつまでも”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2021年12月3日閲覧。
  4. ^ 千羽鶴(1953)”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2021年12月3日閲覧。
  5. ^ 社長秘書”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2021年12月3日閲覧。
  6. ^ 妖精は花の匂いがする”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2021年12月3日閲覧。
  7. ^ 決闘五分前”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2021年12月3日閲覧。
  8. ^ 母波”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2021年12月3日閲覧。
  9. ^ 再会 第一部かりそめの逢瀬 第二部相寄る魂”. allcinema. 株式会社スティングレイ. 2021年12月3日閲覧。
  10. ^ 再会(1953)”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2021年12月3日閲覧。
  11. ^ 新江の島悲歌”. allcinema. 株式会社スティングレイ. 2021年12月3日閲覧。
  12. ^ 新江の島悲歌”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2021年12月3日閲覧。
  13. ^ 浅草物語”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2021年12月3日閲覧。
  14. ^ 地の果てまで”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2021年12月3日閲覧。
  15. ^ 紅椿”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2021年12月3日閲覧。
  16. ^ にっぽん製”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2021年12月3日閲覧。
  17. ^ 十代の誘惑”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2021年12月3日閲覧。
  18. ^ 十代の秘密”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2021年12月3日閲覧。
  19. ^ 若い人たち”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2021年12月3日閲覧。
  20. ^ やさしい狼犬部隊”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2021年12月3日閲覧。

参考文献

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『日本映画俳優全集女優編』1980年、キネマ旬報社刊

外部リンク

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