木原適處
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木原 適處(きはら てきしょ、1827年1月13日(文政9年12月16日) - 1902年(明治35年)11月7日)は、幕末の広島藩士。
通称は秀三郎。
概要・歴史
[編集]長崎、掛川、江戸に遊学し洋式兵術及び海軍術を学ぶ。この間、薩摩の岩下佐治右衛門(岩下方平)、土佐の間崎哲馬、大石円(大石弥太郎)、田所壮輔、中岡慎太郎、坂本龍馬、肥後の大田黒伴雄、長州の村田蔵六(大村益次郎)ら諸藩の有志と交流を深め、次第に倒幕の志を深める。1862年(文久2年)9月、幕臣勝海舟の塾に在塾中、広島藩に登用。以後、応接方・軍事方、軍務会計局吟味役を歴任する。1866年(慶応2年)9月に有志隊設立を広島藩主に建白し、翌年9月に士庶混成の「芸州回天軍第一起神機隊」を志和の地に結成。神機隊は戊辰戦争で備中、関東、東北に出動し善戦する。
廃藩後は家財を投じて地方福祉と民権運動に尽くす。1884年(明治17年)4月、広島に私立広島英学校を設立、後に女子部・商業部も併設する。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 武田正視『木原適處と神機隊の人びと』
- 東広島郷土史研究会編『東広島の歴史』