朝倉愛王丸
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朝倉 愛王丸(あさくら あいおうまる、元亀元年(1570年) - 天正元年8月26日(1573年9月22日))は、戦国時代の人物。朝倉氏の一族。
元亀元年(1570年)、朝倉義景の次男として生まれる。生母は側室で斎藤兵部少輔の娘・小少将。異母兄で世子であった阿君丸は早世していたため、生まれると同時に義景の世子に指名された。義景からは溺愛されたといわれる。
天正元年(1573年)8月、一乗谷城の戦いで父が織田信長に敗れた後、父や母に従って大野の賢松寺に落ち延びたが、8月20日に父は一族の朝倉景鏡の裏切りによって自害した。その後、愛王丸は母・祖母(義景の母)と共に捕縛され、信長によって岐阜に送られる途上の越前南部の今庄で、信長の密命を受けた護送役の丹羽長秀によって殺害された。享年4。