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服部有恒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

服部 有恒(はっとり ありつね、1890年(明治23年)10月9日 - 1957年(昭和32年)11月24日)は、大正・昭和期の日本画家愛知県名古屋市出身。東京美術学校(現東京芸術大学)卒業。帝国美術学校(現武蔵野美術大学)教授。主に歴史人物画を得意とした。日展審査員。本名は謙一。

略歴

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  • 1890年(明治23年)10月9日生まれ。
  • 東京美術学校(現:東京芸術大学)卒業。松岡映丘に師事。
  • 1921年(大正10年)『弘誓の稚児』が帝展初入選、以後大和絵の伝統にもとづく歴史画を描いた。
  • 1933年(昭和8年) 帝展第一部(日本画)審査員に就任 [1]
  • 1938年(昭和13年)日本画院を結成。
  • 1957年(昭和32年)11月24日死去。67歳

主な作品

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  • 『桜梅の少将』(1915年)、東京芸術大学大学美術館所蔵
  • 『相模太郎』(1942年)、東京芸術大学大学美術館所蔵
  • 『宇智子内親王』東京芸術大学大学美術館所蔵

脚注

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  1. ^ 日本画伊藤深水ら、新たに審査員に『中外商業新報』昭和8年9月5日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p410 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)

関連項目

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