服部政光
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服部 政光(はっとり まさみつ、永正13年(1516年)? - 天正13年2月2日(1585年3月3日))は、戦国時代の武将。通称政秀、権太夫 [1]。
略歴
[編集]父は織田信秀に仕えていた服部政家(1492-1536)で、母は丹後守某の女。永禄3年(1560年)桶狭間の戦いにおいて政光は大高城の松平元康に敗戦を知らせ、兵糧舟一艘を献じた。元康は感銘を受け、のち政光に遠江国河の庄3000貫の地を与えた [1]。1573年の三方ヶ原の戦いでは海陸の敵に備えるため東村城を守る。天正10年(1582年)松平康親の指揮を受け伊豆国佐野小屋の砦を攻略した。天正13年(1585年)死去、享年は70または73。法名は賢約。妻は千秋式部少輔の女で、子に政光(興十郎)がいる [1]。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜第7輯』(榮進舍出版部 、1918年、100p)
脚注
[編集]- ^ a b c 榮進舍出版部 1918, p. 100.