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服部尚志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

服部 尚志(はっとり ひさし、1892年明治25年)6月12日 - 1954年昭和29年)5月29日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴・人物

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福岡県出身[1]。旧姓は伊奈。1911年(明治44年)福岡県立中学修猷館[2]を経て、1914年(大正3年)5月陸軍士官学校第26期卒業[1]

1940年(昭和15年)7月独立歩兵第5大隊長(駐蒙軍、独立混成第2旅団)として支那事変日中戦争)に出動し、張家口に駐屯して警備と討伐作戦に従軍[1]。同年8月大佐に累進。1943年(昭和18年)9月南方軍測量隊長に就任[3]

1945年(昭和20年)3月少将に進み、同年5月独立混成第34旅団長となり、ベトナムユエ(フエ)に駐屯して終戦を迎えた[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

脚注

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  1. ^ a b c d e 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』 582頁、芙蓉書房出版、2001年
  2. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館225年記念』 同窓会員9頁、修猷館同窓会、2020年
  3. ^ 外山操『陸海軍将官人事総覧 陸軍編』 363頁、芙蓉書房、1981年
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」21頁。