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服部 保俊(はっとり やすとし、天文6年(1537年) - 永禄3年(1560年))は戦国時代の武将。通称市平[1]。
服部保長の長男で徳川家康に仕えた。永禄3年(1560年)三河国高橋合戦で24歳にして討死した [2]。法名道元。高野山へ葬られた。
子に服部保英(市郎右衛門)がいる。
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