有馬寛
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生誕 |
1885年2月14日 日本・和歌山県 |
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死没 | 1951年1月31日(65歳没) |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1905年 - 1934年 |
最終階級 | 海軍中将 |
墓所 | 青山霊園 |
有馬 寛(ありま ゆたか、1885年(明治18年)2月14日 - 1951年(昭和26年)1月31日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
経歴
[編集]和歌山県出身。神野介寿の二男として生れ、有馬良橘の養子となる。東京府立第一中学校を経て、1905年11月、海軍兵学校(33期)を卒業し、1906年12月に海軍少尉任官。海軍大学校(乙種)、海軍砲術学校高等科を卒業。「安芸」「摂津」の各分隊長、練習艦隊・第2艦隊の各参謀などを経て、1916年11月、海軍大学校(甲種14期)を卒業。
以後、佐世保鎮守府参謀、ロシア駐在、兼ロシア大使館付武官補佐官、軍令部兼参謀(ペテルブルク、ストックホルム、オデッサ、パリ各駐在)、第2戦隊参謀、「春日」副長、横須賀鎮守府付、皇族(伏見宮博恭王)付武官、軍令部参謀(第3班第6課長)、「木曾」「古鷹」の各艦長、舞鶴要港部参謀長、ソ連大使館付武官などを歴任し、1930年12月、海軍少将に進級。
さらに、海大教頭、佐世保海軍艦船部長などを経て、1934年11月に海軍中将となり軍令部出仕、翌月には待命となり予備役に編入された。
1947年(昭和22年)11月、公職追放の仮指定を受けた[1]。
栄典
[編集]- 位階
- 1907年(明治40年)2月12日 - 正八位[2]
- 1921年(大正10年)1月20日 - 正六位[3]
- 1924年(大正13年)12月27日 - 従五位[4]
- 1935年(昭和10年)1月4日 - 正四位[5]
- 勲章等
親族
[編集]- 養父 有馬良橘(海軍大将)
- 義父 中山勝之助(司法官)
- 長女・和歌の夫に第百生命保険会長の川崎大次郎(東京川崎財閥を築いた川崎八右衛門 (2代目)の子)