有田温三
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有田 温三[1][2](ありた おんぞう[3]、1865年10月2日(慶応元年8月13日)[4] - 1927年(昭和2年)2月27日[3][5])は、日本のジャーナリスト、政治家。衆議院議員(当選2回)[3]。族籍は広島県平民[4]。
経歴
[編集]安芸国賀茂郡西高屋村(現在の広島県東広島市)出身[1][6]。有田久の二男[4][6]。生家は代々農業を営む[6]。京都本願寺普通教校を経て[4]、1888年に東京専門学校(現早稲田大学)邦語政治科を卒業[2]。山陽新報記者となり、後に安芸津新報主筆に転じ、さらに大阪朝日新聞に入って広島支局長を務めた[1]。
1903年(明治36年)、広島県会議員に当選し、県参事会員及び地方森林会議員も務めた[1]。1907年(明治40年)に広島市会議員に当選、下水道創立に尽力した[1]。
1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第12回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。公正会[3]、中正会[4]に属す。
人物
[編集]住所は広島市大手町4丁目[1][2][4]。広島県革新倶楽部員である[6]。嗜好は旅行、喜多流謡曲[6]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『広島県紳士名鑑』広島市之部162頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月20日閲覧。
- ^ a b c 『早稲田大学校友会会員名簿 大正4年11月調』得業生之部 邦語政治科 明治二十一年得業17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月20日閲覧。
- ^ a b c d 『議会制度七十年史 第11』あの部22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月20日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第4版』あ25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月20日閲覧。
- ^ 『昭和三年 朝日年鑑』大阪朝日新聞社、1927年
- ^ a b c d e 『大日本人物誌 一名・現代人名辞書』50 - 51頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月14日閲覧。
参考文献
[編集]- 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『広島県紳士名鑑』国民教育普及社、1917年。
- 『早稲田大学校友会会員名簿 大正4年11月調』早稲田大学校友会、1915 - 1925年。
- 衆議院、議院編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。