有沢螢
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有沢 螢(ありさわ ほたる、1949年7月29日[1] - 2023年1月9日)は、歌人。東京都出身。
6歳から独学で歌を作る[2][3]。聖心女子大学を経て、早稲田大学大学院文学研究科日本文学修士課程修了[4]。
専門歌人としてのデビューは遅く、2000年に第一歌集『致死量の芥子』を出版してから「短歌人」に入会、歌壇で活躍する。その後、超結社歌会「白の会」(世話人・黒瀬珂瀾)に参加。2007年に第二歌集『朱を奪ふ』により日本歌人クラブ東京ブロック優良歌集賞受賞。2011年、連作「ありすの杜へ」により第56回短歌人賞受賞、同年、第三歌集『ありすの杜へ』刊行。「短歌人」会務委員。晩年は髄膜炎による四肢不自由の状態で作歌を続けた[5][6]。
人物
[編集]- 「沢」は新漢字であるが、下の名は「蛍」でなく正漢字の「螢」である。
- 第一歌集の時点では「螢」の訓みを「ほたる」ではなく「けい」としていた。
- 高校の教諭であり、教育現場を扱った職業詠が多い。
著書
[編集]- 致死量の芥子 砂子屋書房 2000.8
- 朱を奪ふ 砂子屋書房 2007.3
- ありすの杜へ 砂子屋書房 2011.9
- 現代短歌文庫123 有沢螢歌集 砂子屋書房 2015.6
- シジフォスの日日 短歌研究社 2017.12
- 虹の生まれるところ オリエンス宗教研究所 2020.3
- 縦になる 短歌研究社 2022.6
脚注
[編集]- ^ 『現代物故者事典 2021〜2023』日外アソシエーツ、2024年、p.24。
- ^ 『致死量の芥子』・『ありすの杜へ』あとがきより
- ^ 砂子屋書房インタビュー
- ^ 『シジフォスの日日』著者略歴。
- ^ “写真:コロナは新型孤独ウイルス 死の近くにいても歌を作りたい 四肢不自由で歌い続ける歌人 有沢螢さんに聞く | 沖縄タイムス紙面掲載記事”. 沖縄タイムス+プラス. 2023年2月6日閲覧。
- ^ “詠んで生きる<2>延命より人生の満足度”. ヨミドクター(読売新聞). 2023年2月6日閲覧。