有村恒道
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有村 恒道 | |
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生誕 |
1888年11月28日 日本 鹿児島県 |
死没 |
1949年5月2日(60歳没) ソビエト連邦 ハバロフスク地方 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1911年 - 1940年 1941年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
有村 恒道(ありむら つねみち、1888年(明治21年)11月28日[1] - 1949年(昭和24年)5月2日[1][注釈 1])は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。功三級[3]
経歴
[編集]1888年(明治21年)に鹿児島県で生まれた[1]。陸軍士官学校第23期、陸軍大学校第33期卒業[4]。1935年(昭和10年)8月1日、陸軍歩兵大佐進級と同時に関東軍司令部附となり[3]、1936年(昭和11年)6月に琿春駐屯歩兵隊長に就任[3]。1937年(昭和12年)11月には留守第2師団参謀に転じた[3]。
1938年(昭和13年)7月15日に陸軍少将進級と同時に第2師団司令部附となり[1][3]、9月17日に第21軍兵器部長を経て[1][4]、12月10日に歩兵第35旅団長(第21軍・第18師団)に就任し[4]、日中戦争に出動[4]。賓陽作戦、良口作戦などに参加した[4]。1940年(昭和15年)12月1日に待命[3]、12月28日に予備役に編入されたが[4]、1941年(昭和16年)8月1日に召集され、第2師団兵器部長に就任[4]。1942年(昭和17年)7月1日に西部軍兵器部長に転じ[4]、12月1日に馬来俘虜収容所長を経て[5]、1944年(昭和19年)3月に西部軍司令部附となり[4]、1945年(昭和20年)3月31日に海州陸軍兵事部長兼海州地区司令官に就任した[6]。終戦後にはソ連に抑留され、ハバロフスク地方で死去[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 秦郁彦 編『日本陸海軍総合事典 第2版』東京大学出版会、2005年。ISBN 4130301357。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。