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有村恒道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
有村 恒道
生誕 1888年11月28日
日本の旗 日本 鹿児島県
死没 (1949-05-02) 1949年5月2日(60歳没)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 ハバロフスク地方
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1911年 - 1940年
1941年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
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有村 恒道(ありむら つねみち、1888年明治21年)11月28日[1] - 1949年昭和24年)5月2日[1][注釈 1])は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。功三級[3]

経歴

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1888年(明治21年)に鹿児島県で生まれた[1]陸軍士官学校第23期、陸軍大学校第33期卒業[4]1935年(昭和10年)8月1日陸軍歩兵大佐進級と同時に関東軍司令部附となり[3]1936年(昭和11年)6月に琿春駐屯歩兵隊長に就任[3]1937年(昭和12年)11月には留守第2師団参謀に転じた[3]

1938年(昭和13年)7月15日に陸軍少将進級と同時に第2師団司令部附となり[1][3]9月17日第21軍兵器部長を経て[1][4]12月10日に歩兵第35旅団長(第21軍・第18師団)に就任し[4]日中戦争に出動[4]賓陽作戦、良口作戦などに参加した[4]1940年(昭和15年)12月1日に待命[3]12月28日予備役に編入されたが[4]1941年(昭和16年)8月1日に召集され、第2師団兵器部長に就任[4]1942年(昭和17年)7月1日西部軍兵器部長に転じ[4]12月1日に馬来俘虜収容所長を経て[5]1944年(昭和19年)3月に西部軍司令部附となり[4]1945年(昭和20年)3月31日海州陸軍兵事部長兼海州地区司令官に就任した[6]。終戦後にはソ連に抑留され、ハバロフスク地方で死去[2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 厚生労働省の旧ソ連邦抑留中死亡者名簿50音別索引では5月1日に死亡となっている[2]

出典

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参考文献

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  • 秦郁彦 編『日本陸海軍総合事典 第2版』東京大学出版会、2005年。ISBN 4130301357 
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026