有喜村
表示
うきむら 有喜村 | |
---|---|
廃止日 | 1940年9月1日 |
廃止理由 |
新設合併・市制施行 諫早町、小栗村、小野村、有喜村、真津山村、本野村、長田村 → 諫早市 |
現在の自治体 | 諫早市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 長崎県 |
郡 | 北高来郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
5,410人 (国勢調査、1935年) |
隣接自治体 | 北高来郡江ノ浦村、小栗村、小野村、森山村 |
有喜村役場 | |
所在地 | 長崎県北高来郡有喜村 |
座標 | 北緯32度47分41秒 東経130度04分50秒 / 北緯32.79475度 東経130.08044度座標: 北緯32度47分41秒 東経130度04分50秒 / 北緯32.79475度 東経130.08044度 |
ウィキプロジェクト |
有喜村(うきむら)は、長崎県北高来郡の南部にあった村。1940年(昭和15年)に北高来郡中部の各町村と合併し市制施行、諫早市となった。現在の諫早市諫早地域のうち、有喜地区にあたる。
地理
[編集]村域南部の海岸線は有喜川の河口を除いて断崖を成し、千々石湾(橘湾)に接している。
- 山:積岳
- 河川:有喜川、早見川
- 港湾:千々石湾(橘湾)、有喜漁港
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、北高来郡有喜村が単独村制にて発足。
- 1895年(明治28年) - この年に村内において大規模火災が発生したものとみられる[1]。
- 1940年(昭和15年)9月1日 - 諫早町・小栗村・小野村・有喜村・真津山村・本野村・長田村が合併し市制施行。諫早市が発足し、有喜村は自治体として消滅。
地名
[編集]名を行政区域とする。有喜村は1889年の町村制施行時に単独で自治体として発足したため、大字は無し。
- 古場名
- 里名
- 鶴田名
- 中通名
- 早見名
- 船津名
学校
[編集]名所・旧跡
[編集]- 有喜貝塚
- 宇木城(浮亀城)跡
脚注
[編集]- ^ 長崎縣告示第百七十二號 有喜村火災に付き両陛下より賜金の電報 長崎県公報 明治28年12月7日付号外
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 42 長崎県