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有れ、すると有る

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

有れ、すると有るアラビア語: كُن فَيَكُونُ‎、kun fa-yakūnuクン・ファヤクーヌ)とは、アッラーの創造に関するクルアーンの聖句において、繰り返し登場する文言である。

文法的な説明

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この文言は、その原語であるフスハーでは、「كُن فَيَكُونُ‎ (kun fa-yakūnu)」と表され、それは以下に示すように、3つの部分に分解できる[1][2]。ただし、1番目と3番目にあるものは、いずれも同じ三字語根カーフワーウヌーン)の動詞英語版の派生形であって、その動詞はカーナ英語版とその姉妹たち(アラビア語: كان واخواتها‎)として知られる言葉の、特別なグループに属する[1][2]

  1. كُن‎ (kun) - 二人称男性単数命令形[1]
  2. فَ‎ (fa) - 英語では通常「and」と訳される接頭語[2]
  3. يَكُونُ‎ (yakūnu) - 三人称男性単数未完了形[2]

関連聖句とその和訳

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以下は、その文言が現れる聖句の一覧である。なお、注意点が2つあり、それは次の通りである。

  1. 注釈のついていない限り、「かれ」「主(しゅ)」「われ」は、いずれもアッラーという存在を指す[注釈 1]
  2. イスラム教(イスラーム)においては、アッラーを指す場合の「かれ」という代名詞について、それは言語的制約かその影響に他ならず、アッラーに性別があるわけではないとされる[3]
関連聖句とその和訳
原文 日本語訳
2:117[4] بَدِيعُ السَّمَاوَاتِ وَالأَرْضِ وَإِذَا قَضَى أَمْراً فَإِنَّمَا يَقُولُ لَهُ كُن فَيَكُونُ (かれこそは)天と地の創造者である。かれが一事を決められ、それに「有れ。」と仰せになれば、即ち有るのである。
3:47[5] قَالَتْ رَبِّ أَنَّى يَكُونُ لِي وَلَدٌ وَلَمْ يَمْسَسْنِي بَشَرٌ قَالَ كَذَلِكِ اللّهُ يَخْلُقُ مَا يَشَاء إِذَا قَضَى أَمْرًا فَإِنَّمَا يَقُولُ لَهُ كُن فَيَكُونُ かの女[注釈 2]は言った。「主よ、誰もわたしに触れたことはありません。どうしてわたしに子が出来ましょうか。」かれ[注釈 3]は言った。「このように、アッラーは御望みのものを御創りになられる。かれが一事を決められ、『有れ。』と仰せになれば即ち有るのである。」
3:59[5] إِنَّ مَثَلَ عِيسَى عِندَ اللّهِ كَمَثَلِ آدَمَ خَلَقَهُ مِن تُرَابٍ ثِمَّ قَالَ لَهُ كُن فَيَكُونُ イーサーはアッラーの御許では、丁度アーダムと同じである。かれが泥でかれ[注釈 4]を創られ、それに「有れ。」と仰せになるとかれ[注釈 4]は(人間として)存在した。
6:73[6] وَهُوَ الَّذِي خَلَقَ السَّمَاوَاتِ وَالأَرْضَ بِالْحَقِّ وَيَوْمَ يَقُولُ كُن فَيَكُونُ قَوْلُهُ الْحَقُّ وَلَهُ الْمُلْكُ يَوْمَ يُنفَخُ فِي الصُّوَرِ عَالِمُ الْغَيْبِ وَالشَّهَادَةِ وَهُوَ الْحَكِيمُ الْخَبِيرُ またかれこそは真理をもって、天と地を創造された方であられる。その日は、かれが「有れ」と仰せになれば、即ち有るのである。かれの言葉は真実である。ラッパが吹かれる日、大権はかれに属する。かれは幽玄界[注釈 5]も現象界[注釈 6]をも知っておられる。かれは英明にして凡てに通暁しておられる。
16:40[9] إِنَّمَا قَوْلُنَا لِشَيْءٍ إِذَا أَرَدْنَاهُ أَن نَّقُولَ لَهُ كُن فَيَكُونُ 本当に事を望む時それに対するわれの言葉は、唯それに「有れ」と言うだけで、つまりその通りになるのである。
19:35[10] مَا كَانَ لِلَّهِ أَن يَتَّخِذَ مِن وَلَدٍ سُبْحَانَهُ إِذَا قَضَى أَمْرًا فَإِنَّمَا يَقُولُ لَهُ كُن فَيَكُونُ アッラーに子供が出来るなどということはありえない。かれに讃えあれ[注釈 7]。かれが一事を決定され、唯「有れ。」と仰せになれば、即ち有るのである。
36:82[14] إِنَّمَا أَمْرُهُ إِذَا أَرَادَ شَيْئًا أَنْ يَقُولَ لَهُ كُنْ فَيَكُونُ 何かを望まれると、かれが「有れ。」と御命じになれば、即ち有る。
40:68[15] هُوَ الَّذِي يُحْيِي وَيُمِيتُ فَإِذَا قَضَى أَمْرًا فَإِنَّمَا يَقُولُ لَهُ كُن فَيَكُونُ かれこそは生を授け、また死を授ける方である。かれが一事を決められそれに対し「有れ。」と仰せになれば、即ち有るのである。

脚注

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注釈

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  1. ^ イスラームにおいては、クルアーンが一節も欠くことなく全面的に肯定されるために、クルアーンに基づいてそのように結論づけられる事柄である。
  2. ^ マルヤムのこと。日本では一般的にマリアとして知られる。
  3. ^ 天使のこと。
  4. ^ a b アーダムのこと。
  5. ^ 原語では「ガイブ」である。天国や地獄、復活の日など、啓示によることでしか知ることのできない、全ての秘められた物事を意味する[7]
  6. ^ 人々が目にし、知ることの可能な物事を指す[8]
  7. ^ 原語では「スブハーナフ」である。これは動詞「サッバハ英語版」から派生した形であり、語源的には、何かを遠ざけたり隔絶させたりすることを意味する[11]。イスラーム用語としては、アッラーをかれにふさわしくないあらゆる性質から無縁で崇高な存在として讃えることを意味していて[11]、この聖句では、「唯一、自己完結した存在であるアッラーは、子供を持つなどという不完全な性質とは無関係である」ということが意図されている[12][13]

出典

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参考文献

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  • サイード佐藤 訳『聖クルアーン : 日亜対訳注解』マディーナ : ファハド国王マディーナ・クルアーン印刷コンプレックス、ヒジュラ暦1440年(グレゴリオ暦2018 - 2019年)。ISBN 9786038187579OCLC 1223009891https://epub.qurancomplex.gov.sa/issues/translations/japanese2021年10月26日閲覧