曽拡情
曽拡情 | |
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『最新支那要人伝』1941年 | |
プロフィール | |
出生: |
1897年1月2日 (清光緒22年11月29日) |
死去: |
1983年11月3日 中国遼寧省本渓市 |
出身地: | 清四川省嘉定府威遠県 |
職業: | 政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 曾擴情 |
簡体字: | 曾扩情 |
拼音: | Zēng Kuòqíng |
ラテン字: | Tseng K'uo-ch'ing |
和名表記: | そう かくじょう |
発音転記: | ゾン クオチン |
曽 拡情(そう かくじょう)は中華民国の政治家。蔣介石の腹心の1人と目され、中華民族復興社(いわゆる藍衣社)の組織に従事した人物である。旧名は朝笏、別名は慕沂。
事跡
[編集]蔣介石の腹心へ
[編集]1913年(民国2年)、威遠県立中学に入学し、卒業後は成都の四川省立茶務講習所に進学する。1920年(民国9年)に卒業し、国内各地の製茶業の視察を行った。1921年(民国10年)、南京に移り、ここで中国国民党に加入する。翌1922年(民国11年)、私立朝陽大学法律系に入学した。
1924年(民国13年)、曽拡情は黄埔軍官学校第1期に入学し、11月に卒業して同校政治部少校科員となった。まもなく国民党軍校軍医党代表に任ぜられる。翌1925年(民国14年)春、軍政治部編纂となり、孫文主義学会に加入し、同年に東征(陳炯明討伐)に従事して宣伝工作を担当した。
同年夏に広州に戻り、国民革命軍教導第1団第3営党代表、第4団第2営第5連連長を歴任している。1926年(民国15年)6月、黄埔同学会幹部委員となり、1927年(民国16年)春、国民革命軍独立第13師党代表に任ぜられた。この年に曽拡情は蔣介石の随従秘書に任ぜられ、以後、その腹心の1人と目されることになる。翌年3月、黄埔同学会幹部委員兼書記長となり、さらに南京中央陸軍軍官学校政治部主任(後に政治訓練処処長に改組)となった。1929年(民国18年)春 、中央党部組織部秘書となり、3月、党第3回全国代表大会代表に選出されている。
藍衣社の結成
[編集]1930年(民国19年)、中原大戦終結後に曽拡情は四川省に戻り、軍事特派員に任命された。翌年9月、党第4回全国代表大会代表に選出され、さらに11月には第4期中央執行委員候補となっている。同年冬、中華民族復興社(いわゆる藍衣社)の結成に参画し、1932年(民国21年)3月、藍衣社監察幹事に任命された。翌年3月、四川党務特派員に任ぜられる。
1934年(民国23年)4月、曽拡情は国民政府軍事委員会北平分会政治訓練処処長に任命され、華北において反満抗日の地下工作に従事した。日本側は曽の各種工作に苦しみ、翌年6月の梅津・何応欽協定交渉の際に、日本側は曽も罷免要求の対象者に加えている。結局、同協定の成立に伴い軍事委員会北平分会は廃止され、曽も華北から撤退した。1935年(民国24年)7月、軍事委員会武昌行営政治訓練処西北分処中将処長(同年10月に西北剿匪総司令部政訓処処長に改組)に任ぜられた。翌年12月、西安事件が勃発すると、曽は罷免され軍法審判に付されたが、半年後に保釈されている。
日中戦争(抗日戦争)勃発後の1938年(民国27年)夏、曽拡情は軍事委員会戦時工作幹部訓練団第4団教育長代理に任命され、まもなく第8戦区長官部政治部中将主任に転じた。1943年(民国32年)1月、陸軍少将に任ぜられ、さらに陸軍大学政治部主任となっている。1945年(民国34年)5月、党第6期中央執行委員に再選された。
国共内戦での敗北、晩年
[編集]戦後の1946年(民国35年)5月、曽拡情は軍事委員会委員長重慶行営政務処処長に任ぜられ、以後、四川省で国民党の党勢維持に努めることになる。同年11月、制憲国民大会代表に選出された。1947年(民国36年)6月、党川康渝区党務特派員に任ぜられ、さらに国民政府主席重慶行轅(軍事委員会重慶行営を改組したもの)で秘書長も兼ねた。翌年1月、立法院立法委員に任命され、同院国際委員会委員となっている。6月、四川省党部主任委員となった。
国共内戦末期の1949年(民国38年)には、曽拡情は川陝甘辺区綏靖公署中将副主任、成都防守司令部政治部主任、四川省地方武装統一委員会主任委員などを務め、国民党による大陸西南部の死守に従事することになった。しかし、四川省は同年12月に中国人民解放軍により制圧され、曽も成都で捕虜とされてしまう。
以後、曽拡情は戦犯として収監され、1959年12月に特赦で釈放された。その後は遼寧省本渓市に移住し、遼寧省政治協商会議第4期・第5期委員、第6期政治協商会議全国委員会委員を歴任している。また、国民党時代の様々な事件について回顧記事を執筆し、刊行した。
1983年11月3日、本渓市にて死去。享年87(満86歳)。
参考文献
[編集]- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉国銘主編『中国国民党百年人物全書』団結出版社、2005年。ISBN 7-80214-039-0。
- 東亜問題調査会『最新支那要人伝』朝日新聞社、1941年。