智満寺 (島田市)
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智満寺 | |
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本堂(2010年) | |
所在地 | 静岡県島田市千葉254 |
位置 | 北緯34度53分28.5秒 東経138度9分43.3秒 / 北緯34.891250度 東経138.162028度座標: 北緯34度53分28.5秒 東経138度9分43.3秒 / 北緯34.891250度 東経138.162028度 |
山号 | 千葉山 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 千手観世音菩薩 |
創建年 | 神護景雲年間(767年 - 770年) |
開山 | 広智 |
中興年 | 文治5年(1189年) |
中興 | 源頼朝、千葉常胤 |
文化財 | 智満寺本堂(重要文化財)、智満寺の十本スギ(天然記念物)、他 |
公式サイト | 天台宗 千葉山 智満寺 |
法人番号 | 7080005004602 |
歴史
[編集]神護景雲年間(767年 - 770年)、広智によって開山された。広智は鑑真の法孫(孫弟子)にあたる僧侶である。光仁天皇より行基作と伝えられる千手観世音菩薩と「智満寺」の寺号を賜って寺を創建した[1][2]。
その後、火事に遭い、1189年(文治5年)に源頼朝の命により千葉常胤によって再建された。これまで山号は「宝亀山」または「広智山」と称していたが、この時に「千葉山」となった。千葉常胤が由来である[2][3]。
室町時代からは今川氏の庇護を受けている。今川氏滅亡後は、徳川家康によって整備された。現在の本堂は家康が建てたものである[3]。
当寺の境内には、樹齢800年から1000年と推測される杉の巨木がある。「智満寺の十本スギ」として国の天然記念物に指定されている。10本の杉であるが、そのうち「開山杉」「子持杉」「頼朝杉」は、枯死などで現存しない[2][3]。
大井川上流の川根本町上長尾にも同名の千葉山智満寺があるが、そちらは島田市の智満寺の末寺であったという説がある(1491年、曹洞宗に改宗)[4]
文化財
[編集]重要文化財
[編集]静岡県指定有形文化財
[編集]- 木造千手観音立像(静岡県指定有形文化財 明治33年4月7日指定)[7]
- 智満寺中門(静岡県指定有形文化財 昭和31年1月7日指定)[8]
- 智満寺薬師堂(静岡県指定有形文化財 昭和31年1月7日指定)[9]
- 智満寺薬師堂厨子(静岡県指定有形文化財 昭和31年1月7日指定)[10]
- 智満寺元三大師厨子(静岡県指定有形文化財 昭和31年1月7日指定)[11]
- 智満寺仁王門(静岡県指定有形文化財 昭和31年1月7日指定)[12]
- 紙本墨書称讃浄土経(静岡県指定有形文化財 昭和37年2月27日指定)[13]
島田市指定文化財
[編集]- 智満寺薬師如来坐像(島田市指定文化財 昭和59年5月22日指定)[14]
- 智満寺金剛力士立像(島田市指定文化財 昭和59年5月22日指定)[15]
- 智満寺木造千手観音立像(島田市指定文化財 昭和59年5月22日指定)[16]
- 智満寺不動明王及び二童子像(島田市指定文化財 昭和59年5月22日指定)[17]
交通アクセス
[編集]- 島田金谷ICより車27分。
脚注
[編集]- ^ 智満寺について智満寺
- ^ a b c 静岡県日本史教育研究会 編『静岡県の歴史散歩』山川出版社〈歴史散歩22〉、2006年、205-206頁。
- ^ a b c 千葉山智満寺島田市観光協会
- ^ “曹洞宗 智満寺 | 河根法窟・川根大仏の寺”. 曹洞宗 智満寺. 2023年6月14日閲覧。
- ^ 智満寺本堂文化庁
- ^ 智満寺の十本スギ文化庁
- ^ 木造千手観音立像静岡県
- ^ 智満寺中門静岡県
- ^ 智満寺薬師堂静岡県
- ^ 智満寺薬師堂厨子静岡県
- ^ 智満寺元三大師厨子静岡県
- ^ 智満寺仁王門静岡県
- ^ 紙本墨書称讃浄土経静岡県
- ^ 智満寺薬師如来坐像島田市
- ^ 智満寺金剛力士立像島田市
- ^ 智満寺木造千手観音立像島田市
- ^ 智満寺不動明王及び二童子像島田市