智清寺
表示
智清寺 | |
---|---|
所在地 | 東京都板橋区大和町37-1[1] |
位置 | 北緯35度45分31.1秒 東経139度42分17.8秒 / 北緯35.758639度 東経139.704944度座標: 北緯35度45分31.1秒 東経139度42分17.8秒 / 北緯35.758639度 東経139.704944度 |
山号 | 龍光山[2] |
院号 | 恵照院[2] |
宗派 | 浄土宗[2] |
本尊 | 阿弥陀如来[2] |
創建年 | 室町時代初期 |
開山 | 見誉智清[2] |
札所等 | 北豊島三十三ヶ所霊場15番札所 |
文化財 | 中用水遺構石橋(板橋区登録記念物)[1] |
法人番号 | 9011405000402 |
概要
[編集]室町時代初期、見誉智清(1440年寂)によって開山された。1784年(天明4年)の火災で記録を失ってしまったため、詳細は不明である[3]。
境内には、「中用水遺構石橋」と呼ばれる橋の跡がある[1]。「中用水」とは、石神井川から分かれた用水路で、別名「稲付川」「北耕地川」とも呼ばれた(現在は、ほとんどが暗渠化している)。この中用水が、かつては境内を横断していたのである。
他にも「木下藤吉郎出世稲荷大明神」を祀る祠がある。大坂の陣の際、高松半平という浪人が当寺まで落ち延びて、「豊臣秀吉の守護神像」を祀ったのが起源であるという[3]。
-
中用水遺構石橋
-
木下藤吉郎出世稲荷大明神
寺宝等
[編集]墓所
[編集]交通アクセス
[編集]- 板橋本町駅より徒歩8分。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 板橋区教育委員会 編『いたばしの寺院 (文化財シリーズ第39集)』板橋区教育委員会、1982年
- 馬場憲一 著『板橋区史跡散歩 (東京史跡ガイド19)』学生社、1993年
- 「下板橋宿 智清寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ12豊島郡ノ4、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763977/33。