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智昇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

智昇(ちしょう)はの僧侶であり、唐代仏典目録の代表作として知られる『開元釈教録』の撰者であるが、その伝記は賛寧撰『宋高僧伝』巻五[1]に短い記事があるのみで、生没年・出身地等は不明である[2]

開元18年(730年)『開元釈教録』撰述時に入蔵された5048巻は当時現存した仏典の数で、以後欽定大蔵経の標準とされ長期に亘って権威を持ち続けた[3]

伝記

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智昇 の伝記は『宋高僧傳』巻五 義解篇 第二之二 正傳十四人中4番目に置かれた『唐京兆西崇福寺智昇傳』である[4]

『唐京兆西崇福寺智昇傳』

釋智昇。未祥何許人也。義理懸通二乘倶學。然於毘尼尤善其宗。此外文性愈高博達今古。毎慊聶道眞道安至于明佺宣律師。各著大藏目録記其翻傳年代人物者。謂之晋録魏漢等録。乃於開元十八年歳次 庚午。撰開元釋教録二十卷。最爲精要何耶。諸師於同本異出舊目新名。多惑其文眞僞相亂。或一經爲兩本。或支品作別翻。一一裁量少無過者。如其舊録江泌女子誦出經。黜而不留。可謂藻鑑杜塞妖僞之源有茲獨斷。後之圓照貞元録也。文體意宗相岠不知幾百數里哉。麟徳中道宣出内典録十卷。靖邁出圖紀四卷。昇各續一卷。經法之譜無出昇之右矣

釋智昇。何許の人か未祥也。(仏法の)義と理に懸通し、(小乗と大乗の)二乘倶に學す。然して毘尼(Vinaya)に於いて其の宗は尤も善し。此の外の文性は愈(いよいよ)高博にして今古に達す。聶道眞[5]道安から于明佺、律師に至る毎に各大藏目録を著し其の翻傳年代人物者を記すも慊(あきたり)ず。之は謂ゆる、録、等録なり。乃んで開元十八年歳次庚午に於て『開元釈教録』二十卷を撰す。最精要と爲すは何耶。諸師於同本異出、舊目新名に。多く惑い其文の眞僞の相亂る。或は一經を兩本と爲し。或は支品を別翻と作せるも、一一裁量して少も過者無し。其れ舊録の「江泌女子誦出經[6]」の如く、黜(しりぞけ)而して留め不るは藻鑑(そうかん、優れた鑑識)と謂う可く、妖僞之源を杜塞す、茲獨斷有り。後之圓照は『貞元録』也。文體意宗の相は岠にして幾百數里知ら不る哉。麟徳中に道宣内典録十卷を出す。靖邁(玄奘の弟子)は『古今訳経図紀』四卷を出す。昇は各續一卷(を出す)。經法之譜無出昇之右矣。

— 『宋高僧傳』巻五 義解篇 第二之二 正傳十四人中4番目の『唐京兆西崇福寺智昇傳』、(原文・訓読)

現存する著作

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  • 開元釈教録二十巻』[7]
  • 『続大唐内典録』(宋本大蔵経に「唐釋智昇撰」の字句、元版大蔵経に「大唐西明」の字句あり)[8]
  • 『続古今訳経図紀一巻』[9]
  • 『続集古今仏道論衡』[10]
  • 『集諸経礼懺儀』巻上・下[11]

注・出典

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  1. ^ SATデータベース/T2061_.50.0732a09
  2. ^ 岡部,和雄『譯經史と禪宗 -「月をさす指の喩え」に寄せて-』東洋の思想と宗敎 23 1-28, 2006-03-25 早稻田大學東洋哲學會 。p.6下-7上
  3. ^ 同上、p.1下。
  4. ^ SATデータベース/T2061_.50.0733c25- 0734a10
  5. ^ しょうどうしん、西晋時代の翻訳僧。
  6. ^ 『江泌女子誦出經』とは江泌の娘が神憑りの状態で経を誦出したという奇談であるが、僧祐撰『出三蔵記集』録下卷第五に偽経の一類型としての記載あり。T2145_.55.0040b06- 0040b17 『僧法尼所誦出經入疑録』。
  7. ^ SATデータベース/T2154_.55.0477a03-0723a08
  8. ^ SATデータベース/T2150 0342x07-0342x07
  9. ^ SATデータベース/T2152_.55.0367c23- 0372c09
  10. ^ SATデータベース/T2105_.52.0397b22- 0404a04
  11. ^ SATデータベース/T1982_.47.0456b04- 0474c15