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智恵光院通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
智恵光院通の由来となっている智恵光院[1]

智恵光院通(ちえこういんどおり)は京都市内の南北の通りの一つ。北は北大路通大徳寺門前から南は竹屋町通二条城の北の堀端まで、大宮通千本通の間を走る。途中、寺之内通丸太町通で鍵の手に折れる。また、下立売通の南方で約25~30m間 北西⇔南東に遷移する区間がある。南の延長線上、御池通から南に矢城通、さらに南に壬生川通(壬生通)がある。

寺之内通以北は住宅地の中を走る細い通り、寺之内通から丸太町通までは両側に歩道も設けられた2車線道路だが、通過する車両は比較的少ない。

智恵光院通では、1945年3月から行われた第3次建物疎開において消防空地(消防活動用の道路)として寺之内通から丸太町通の間で拡幅が行われた[2]笹屋町通以北では通りの東側の家屋を、以南では西側の家屋を取り壊して道路を拡幅した[3]

また、下長者町通北東角にある辰巳公園には、1945年6月26日の「西陣空襲」を記録する碑が建てられている[4] [5]

1964年1月27日までは京都市営バス25号系統の運行経路の一部として寺之内⇔丸太町間、また1981年5月29日の系統廃止までは今出川⇔丸太町間が設定されていた。

名前は一条上ルにある智恵光院からつけられた。

沿道の主な社寺・施設

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参考文献

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  • 中西宏次『戦争の中の京都』岩波書店〈岩波ジュニア新書644〉、2009年。ISBN 978-4-00-500644-1 

脚注

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  1. ^ 智恵光院”. 京都市観光協会. 2022年3月9日閲覧。
  2. ^ 中西 (2009), pp. 94–95.
  3. ^ 「上京40人超犠牲の空襲から79年 当時の西陣歩いて知る」『京都新聞』2024年7月11日、朝刊。
  4. ^ 中西 (2009), pp. 152–153.
  5. ^ KA129 空爆被災を記録する碑”. 2024年7月14日閲覧。

関連項目

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