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晏 弱(あん じゃく、? - 紀元前556年)は、中国春秋時代の斉の政治家。萊の夷維(現在の山東省濰坊市高密市)の人[1]。子は晏嬰(晏平仲)。斉の頃公の時期、晋が主催した断道の会にて拘留されたが、苗賁皇の計らいにより、後に帰還した[2]。斉の霊公に東方の萊の攻略を命じられ、紀元前567年にこれを果たした[3]。紀元前556年に逝去。諡は桓。晏桓子と称された。